物語は詩に、あるいは歌に近づく
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「考える人」 2014年 05月号(新潮社、2014)
看板になっている記事群は、残念ながら、ぼくにはおもしろいと思えず、この号を買ったのは失敗だったかと思い始めていた。
ところが。藤津亮太の評論「テレビアニメが教えたくれた世界の名作」に、おやと、眼をひらかされた。
だけど。そのあとは、また、ぼくにはおもしろいと思えない文章がつづく。
ところがところが、最後に宝がかくれていた。小特集「石井桃子を読む」である。特に、「石井桃子のこの一冊」というちいさい字の記事群のなかの松浦寿輝『たのしい川べ』と水村美苗『幻の朱い実』の二本には、こころのそこからうならされた。
松浦寿輝はケネス・グレーアムの『たのしい川べ』を、小学・中学・高校を通じて「繰り返し巻き返し再読し、ほとんどその全文を諳んじてしまうほど濃密に付き合」った。石井桃子の完全訳になってはじめて読めた7章と9章。その9章の、海ネズミの語りについて、「物語は詩に、あるいは歌に近づく」と書き、引用する。
そして、話は――すばらしい話は――流れるようにつづきました。しかし、それは、たしかに、話だったでしょうか。それとも、ときには、歌にうつっていったのではないでしょうか?
この箇所につづく分析は、児童文学に対するこんな深い分析はよんだことがないというくらい深い。話が歌にうつる、は原文では 'pass ... into song' となっている。
松浦寿輝は文章のしめくくりに、「この現世に生きるのは、そんなに悪いことではないのかもしれない」と、こうした物語から囁きかけられたとしるす。そして、「子供のための物語が果たすべき唯一の使命とは、そう囁きかけることに尽きるのではないだろうか」とむすぶ。