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文字と音声との不思議な呼応を詠む笹井宏之の歌百首


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笹井宏之『八月のフルート奏者(百首選)』(書肆侃侃房 新鋭短歌シリーズ、2013)[Kindle版]



 名は体を表す、ということばがある。名は実体がどのような物かを示すという意味である。

 ことわざめいた云い方として諒解していてもまさか本当のこととは考えぬ。ふつうは。

 ところが、笹井宏之のつぎの歌はどうであろう。

ひらはらといふ姓を持つ唄ひ手のゐてひらはらと声をだしをり


あきらかに名が声をあらわしている。声とはすなわち唄い手の実体そのものである。

 この歌人は漢字でもそのわざをやってのける。

鬼百合が鬼に戻つてゆくさまを尼僧のやうな眼で見つめをり


この歌を読んだなら、ためしに鬼百合の写真を何でもよいので見てもらいたい。見え方が変わらなかっただろうか。

 さらに、外国語の文字にひそむ秘密までこっそり抉りだす。

knifeよりこぼるる「k」の無音こそ深きを抉る刃なりけり


 評者が以上のようなことを感じたのはつぎの歌がきっかけであった。

とけてゆく君をきみへと収めつつ明けの一等星眺めをり


「君」から「きみ」への変化にこめようとしたものは、文字と音声との呼応、いや感応についてひそかに歌人がつかみとったものに由来する。そう考えたのである。

 本書は2004-09年の作を収めた『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房、2013)から監修者が抜粋した百首を収める電子書籍(2013)。なぜ2009年の分までかというと、笹井宏之は2009年1月24日に26歳のわかさで他界したからである。


〔蜘蛛の歌は眼で見て初めてわかる〕