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ミツバチが騒ぐ谷間で


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須賀 敦子『遠い朝の本たち』(ちくま文庫、2001)



 須賀敦子の本との関わりを書いたエッセイ集。

 とはいえ、「ほんとうよねえ、人生って、ただごとじゃないのよねえ、それなのに、私たちは、あんなに大いばりで、生きてた」(「しげちゃんの昇天」)のような友人のことばを引くところを読むと、この文章が本の向こうにある人間や人生や世界へのつよい関心に貫かれていることが、なんとなく感ぜられるのである。

 あとでその通り人間そのものに関心を寄せ、そういうことにかまけるイタリアやフランスの散文に傾倒する著者が、自然と抒情の英詩に惹かれていた時期もあった。そのころのことは「自分は散文より詩が好きだ、という、天から降ってきた確信のようなものに振りまわされていて、それが私を詩に駆りたてていた」と書くくらいである。

 その種の英詩のひとつに、父親の本棚から盗んだ本にあった、ワーズワースの「ダフォディル」がある。

谷や丘のずっとうえに浮かんでいる雲
みたいに、ひとりさまよっていたとき、
いきなり見えた群れさわぐもの、
幾千の軍勢、金いろのダフォディル。
みずうみのすぐそばに、樹々の蔭に、
そよ風にひらひらして、おどっていて。


この3行目の訳が非凡である。'When all at once I saw a crowd,' の行を見て瞬間的にひらめいた(「天から降ってきた」)としか思えないくらい。

 その本に入っていたもう一つの詩がイェーツの「イニスフリー湖の島」である。この詩がとくべつなものになったのは、著者の妹が、高校のクラスで暗記してきて、英国流の伝統的な詩の読み方を仕込まれた、完璧な発音と抑揚で聞かせてくれたときだった。

さあ、立ちあがって行こう、イニスフリーに行こう、
ちいさな小屋をあの島に建てよう、粘土と小枝を使って。
豆は九列でいい、それから蜜をとるのに、ハチの巣箱と、
ミツバチが騒ぐ谷間で、ひとり暮らそう。


この4行目が一種の謎である。が、'And live alone in the bee-loud glade.' をそう訳したくなる気持ちが分からないでもない。〔'glade' を尾島庄太郎が「林」と、中林良雄が「林間」と、高松雄一が「森の空地」と訳し、加島祥造にいたっては省いてさえいることを附記する。〕

 つづく連はこうなる。

それから、安らぎをすこし手に入れよう、安らぎはゆっくりと降りそそぐから、
朝の時間の紗をとおしてコオロギが歌うそのあたりまで
真夜中がきらめきそのものになるあたり、正午はむらさきのほむら、
そして夕ぐれはベニヒワの羽ばたきにすべてがいっぱいになる。


ここで著者が「noon a purple glow 『正午はむらさきのほむら』というフレーズも、わたしにはかけがえのないことばの組みあわせに思われた」と書く。このことばがどうして夕暮れどきみたいな色になるのか、またどんな景色を指すのか、分からないながらも、「それでいて『これ以外にない』といった深い感じが、この四つのことばの組みあわせに、ひそんでいた」と記すのは、須賀が詩のことばに敏感に反応していることを示すだろう。〔このむらさきが湖面に照り映えるヒースのことであると、詩人自身が口頭で説明した。〕

 著者が母親から叱られたときのことば(「父ゆずり」)を引いて自戒のための覚書としたい。

おまえはすぐ本に読まれる。母はよくそういって私を叱った。また、本に読まれてる。はやく勉強しなさい。本は読むものでしょう。おまえみたいに、年がら年中、本に読まれてばかりいて、どうするの。


 大阪商人の中でそだった著者の祖母は、母親よりももっと「即物的な理由」で著者の本好きを叱ったらしい。

本ばかり読んでると、女はろくなことにならない。(女は、というところを「人間は」に変えると、それは、あたっていたかもしれない。)


著者はこうした小言を意識しつつ、その後、まったく改心することはなかったのである。