ことばの実体はなにか
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高島俊男『漢字と日本人』(文春新書、2001)
こう、高島俊男は本書156頁にしるす。つづけて、こう書く。音声は、それがおとすかげにすぎない。
これは、控えめにいっても、世界のことばの(言語学上の)常識に反する。本来、言語の実体は音声である。
つまり、上記の観念は大いなる誤謬である。本書のいいかたでは、日本語は「顛倒した言語」ということになる。漢字に結びつけないと意味が確定しない言語ということである。そのことを、丁寧に体系的に本書は説く。高島俊男の他著でも、このことは繰返し述べられているが、その考え方をまとめて知るには本書は好適だ。
急いで附言する。上記のことは、日本語のなかの字音語についてのことである。また、日本語がこうとらえられるようになったのは、明治以後のことである。
字音語というのは、本書には説明はないけれども、字音、つまり、文字の発音、この場合には、漢字の発音による語のことだ。日本語の主要なことばはほとんど字音語がしめることになった。
世界的にも日本人はめずらしいのだろうか。本書にはないけれども、ユダヤ人もやはり「文字の民」である。ユダヤ人の聖典は文字こそが重要であり、それをどう発音するかについて、発音用の符号が用いられるようになるのは、ずいぶんあとのことである。
著者がシナ文学者であることから、本書は一般に漢字擁護論と誤解されがちだが、実体はややちがう。