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ダンテの『神曲』のプロヴァンス語部分まで完璧な唯一の訳


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ダンテ(平川祐弘訳)『神曲』(河出書房新社、1980)



 知るかぎりでは、平川祐弘訳の『神曲』は原文(ほとんどはイタリア語)のプロヴァンス語部分まで正確な唯一の日本語訳だ。したがって、そこまで完璧さを求めるのなら、この訳にとどめをさす。

 そのプロヴァンス語部分はどこに現れるかというと、「煉獄篇」の第26歌だ。トゥルバドゥール中、最高の詩人とうたわれるアルナウト・ダニエルが語る場面だ。

 全篇にわたり明瞭で、格調を有し、力あふれ、見事な口語で訳された平川訳『神曲』(特に「煉獄篇」第1歌)だけれど、この場面だけは歴史的仮名遣いで綴られる。


 「泣きつ歌ひつ進む私はアルナウトでござゐます。」

 原文は Ieu sui Arnaut, que plor e vau cantan; と、あきらかにプロヴァンス語だ。アルナウトが語るところだけは8行にわたってプロヴァンス語が用いられる。イタリア語による文学の存在証明を書こうとしたダンテがこう書いたことは、アルナウトに対する最大級の尊敬を表す。しかも、この8行の間も、『神曲』の詩形である三韻句法(terza rima, aba bcb ... と続く)がいささかも崩れていないのは驚嘆に値する。

 なぜダンテがそれほどの敬意をアルナウトに示したかの事情を一言だけ書いておく。それまでは、まともな文学はラテン語で書くものとされていたところへ、俗語であるプロヴァンス語で輝かしい範を示したのがアルナウトだった。そのことに勇気づけられ、アルナウトを最高の範例とする文学理論書『俗語詩論』を書いて俗語でも文学が書けることを高らかに宣言したダンテは、その実践として同じく俗語であるイタリア語によって『神曲』を書いたのだった。だから、みずからの最高の師匠たるアルナウトの言葉はイタリア語に訳すわけにはいかなかった。

 なお、ぼくが愛読している版は世界文学全集版(1980年の第17版)であり、ここに書影が出ている版(1992/3)とは違う。今は河出文庫の3分冊版で平川祐弘訳が容易に入手できるが、まことに喜ばしい。