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「歌」のような現代詩をかいた福中都生子の選詩集


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福中都生子『福中都生子詩集』(五月書房、1973)



 詩人、福中都生子(1928−2008)の最初の5つの詩集(第一詩集『灰色の壁に』、第二詩集『雲の劇場』、第三詩集『南大阪』、第四詩集『女ざかり』、第五詩集『やさしい恋うた』)の145篇のなかから68篇を選んで一巻にまとめた選詩集。評論家、小川和佑の解説が附く。

 現代詩の詩集は、出版時に買わなければしばしば入手困難になる。本書刊行当時、福中の初期詩集もそのような状態にあった。たまたま、大阪のFM放送局、FM大阪の「虹のファンタジー」という番組で毎週、福中の詩集からの朗読(関西芸術座の楠年明、富田良子による)がおこなわれていた。それを聞いた聴取者からの、「耳で聞いた詩の感動をもう一度、文字の上で言語の上でたしかめたい」という熱心なリクエストに応える形で本書は刊行された。福中は「テキストとして否定的発展的媒体の役割と同時に、新しい詩志向の発展を促す素材として生かすことが出来れば」との思いをこめた。

 福中の代表作「酋長ジェロニモ」が本書の巻頭詩におかれている。その冒頭の一節を引く。

好きよ ジェロニモ
あなたが 好き
あなたは アメリカインディアン最後の酋長
男の中の男の酋長
たたかったアパッチ 最後のアパッチ
あなたが死んで アメリカがのこった
アメリカも死んで あなたがのこった
好きよ ジェロニモ
あなたが 好き(8頁)


この詩がおさめられた『やさしい恋うた』について、小川和佑は<現代詩のどこにも接点を持たない「歌」的要素によって成立している>と述べる(165頁)。小野十三郎はこれを<「大衆的なフォーク」の世界に通じる>といった(166頁)。小川が指摘する通り、<この作品は現代詩を孤独な密室の言語芸術という作業から、明るい外光のもとに導き出している>と同時に、<ジェロニモへの恋ごころは、そのままアメリカ、およびアメリカ的なるものへの激しい反撥になっている>という鋭い批評性を内包する(157頁)。

 『やさしい恋うた』の題詩である「やさしい恋うた」の冒頭の一節も引いておこう。

女がひとりで
四十歳をむかえた夜
不意に 足の裏からおそってきたのは
さみしさばかりではなかった
すでに 前こごみの
体の中をふきぬける風よりもたしかな
それは やさしさという顔でもあった
この世の中の だれひとり
ふりむく人がなくなっても
わたしは わたしだけの
わたしをふりむくことができる(17頁)


 わが最愛の詩人の一人であるから、いくらでも詩行を引くことはできるが、最後に「レモンのなみだ」(『やさしい恋うた』)から2行だけ引いて終りにする。

レモンよりもやわらかい やさしい肉体が
どうして わけもなく人を傷つけるのか(15頁)


思えば、この詩人にふれていなければ、評者の現代詩への歩みもずいぶん違うものとなっていたであろう。いくら感謝してもしきれない。