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Ciaran O Con Cheanainn


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〔蔵出し記事 20050825; From the archives: what follows was written on 25 August 2005〕

 

Ciarán Ó Con Cheanáinn, a most promising young sean-nós singer.

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 彼は恐らく2005年のエラハタスでオ・リアダ杯を獲得することだろう。2004年は同杯三位、2002年男性部門二位、1999年同部門一位。〔彼はその後2008年にオ・リアダ杯を獲得した。2009年に惜しくも他界。 Go ndéana Dia grásta air.〕

 幸運なことに、私はこのキアラン・オ・コン・ヒャノンから四週間アイルランド語を習った。〔*〕来る日も来る日も、アイルランド語により、アイルランド語を。これほどハードな訓練を受けた記憶は過去にない。願わくは、私がその言葉の器をいつか備え、その微妙な襞までを摑める日の来ることを。

 などと神妙に語りたくなるくらい。しかし、アイルランド語シャン・ノース詩歌が、生きたアイルランド語の力から発することを、これほど身をもって知ったことは本当に幸運だった。たとえ、こちらにそれを受入れるだけの器がまだなくとも、これほどの大器からこんこんと説かれれば少しはおこぼれにも預かろうというもの。

 されど、2005年のオ・リアダ杯にはもう一人、強力な歌い手が久しぶりに挑戦する。マレード・ヴィク・オンリーフである。Mairéad Mhic Fhionnlaoich は現在ゲールタハト庁のコミュニケーション担当官であり、アイルランド語社会文化の未来には人一倍の責任感を有する。ダブリン生まれでネイティヴではないが、コナマラ・アイルランド語を教える教師から言葉を習得した。

 男女無差別のこの高レベルの争いについてのリリスの批判は多としながらも、素晴らしい歌い手たちがその年の頂点を目指して切磋琢磨する様は励みになる。マレードが語っていたことだけれど、何より、そのリリスこそがエラハタスを変えるほどの影響力を発揮してきたことにリリス自身が気づいていない。

 いまや、コナマラ一辺倒のオ・リアダ杯ではない。真の実力を備えた者なら、そして詩歌が書かれた言語を正しく理解し表現できる者なら、コナマラであろうが、ドネゴールであろうが、もちろんマンスターであろうが、誰にでもチャンスがあるのである。このような開かれた耳を審査員たちに得心させたのはリリス・オ・リーレらの辛抱強い努力の成果に他ならない。

 2004年の勝者を見よ。同杯を獲得したガロージン〔2004年、1996年〕やリリス〔1991年、1994年〕の声を聴けば、その歌い回しがコナマラの唱法といかに懸離れていようとも、いいものはいいと認めざるを得ないのである。そしてその歌い方は、ドネゴールの歌にはまことにふさわしいもので、それ以外にはあり得ない。

 ドネゴールのアイルランド語で書かれた歌はドネゴールのアイルランド語にふさわしい歌い方がされねばならない。マンスターのアイルランド語で書かれた歌は、たとえコナマラ出身者でもマンスターのアイルランド語にふさわしい歌い方をせねばならぬ。ようやく、歌はすべてを語り、歌は歌い手に優るという極めて単純な真実が大方の理解を得るに至ったのである。この基礎には詩歌の構造に対する正確な理解があると私は思う。この理解なくして、厳しい審査員を唸らせることはできない。

 ところで、私がリリスから歌を習ったと言うと、キアランは、はっと驚いたような表情をした。明らかにリリスに一目置いているのだ。口には出さないけれど。

 コナマラの伝統につかりながらドネゴールの歌い手にも敬意を払うこのしなやかな若者にシャン・ノースの未来を見たように思った。その歌声はいづれ日本にも届くだろう。

 

〔*〕 ゴールウェー大学のア・ヒャルールーア校で毎夏開かれるアイルランド語のコース。私が行った時は、初級・中級・上級の3クラスがあった。キアランは上級の先生だった。その後、初級の下に初歩が加わったと聞く。外国人向けのクラスとしては以上で、その上に、アイルランド人向けのクラスが一つあり、そこでは辞書はアイルランド語アイルランド語のものを使用する。外国人向けクラスでは辞書はアイルランド語-英語を使用してよい。上級は授業がアイルランド語で行われ、中級以下は英語で行われる。