アイルランド語訳聖書から(An Bíobla Naofa)。
Soiscéal Naofa Íosa Críost de réir Eoin 14.15-18
15 Má tá grá agaibh dom, coinneoidh sibh m’aitheanta.
16 Agus iarrfaidh mé ar m’Athair é,
agus tabharfaidh sé Abhcóide eile daoibh
chun fanacht faraibh go deo –
17 Spiorad na Fírinne,
nach féidir don saol a ghlacadh,
mar ní fheiceann sé é ná ní aithníonn sé é.
Ach aithníonn sibhse é
mar fanann sé faraibh, agus beidh sé ionaibh.
18 Ní fhágfaidh mé in bhur ndílleachtaí sibh;
tiocfaidh mé ar ais chugaibh.
日本語訳聖書から(新共同訳)。
聖ヨハネ 14.15-18
15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
イエズスは弟子たちに聖霊を与える約束をする。引用中で「別の弁護者」(Abhcóide eile)と言われ、「真理の霊」(Spiorad na Fírinne)と言われる。「別の」とは、イエズス自身が弁護者であるため(一ヨハネ 2.1)。英語で大文字で始まる 'Advocate' (弁護者)はキリスト(Christ)を表す。この箇所のギリシア語原文ではパラクレートス(原文は対格παρακλητον)(そばに呼ばれた者、慰め手)が使われているが、それに由来する英語は paraclete で、大文字で始めれば聖霊(the Holy Spririt)を表す。
聖霊とはいつも近くにいて助ける方というイメジは、引用中二度現れる「あなたがたのそばに」(faraibh)に、よく出ている。だけでなく、「あなたがたの内に」(ionaibh)いる。
この箇所はクリスチャンでなければ理解が困難なところもあるかもしれない。聖霊がそばにいて内にいると感得できる人は、信仰の目を持っているということになるのだろう。そのような助け手がいつもそばにいると感じながら生きることは慰めである。
アイルランド語訳の文章は簡潔で極めて美しく、含蓄が深い。このような文に触れると、真理とは単純にして奥深いものという感じがする。