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もはやSF。でもあくまで怪異譚


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葉山透『0能者ミナト〈2〉』アスキーメディアワークス、2011)

 

 短編連作の書き下ろし第2巻。

 第1巻では「嫉」と「呪」の二話。本巻は「鏖」と「真」の二話。という具合だが、本書の場合は二話でひとつの話になっている。

 第1巻にはなかったものとして、巻末に参考文献が一冊あげられている。18世紀の『鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』である。その本の解説には澁澤龍彦の『幻妖のメルヘン』からの引用が記されている。

古代人の世界観としてのアニミズムには、自然の善意を信ずる方向と、自然の悪意を信じる方向との、二つのオリエンテーションがあったように思われる。のちになって、前者は寓話と結びつき、後者は幽霊や妖怪や悪鬼の物語と結びつくことになった。

この後者の系譜に怪異はふつう位置づけられるのだろうけれど、作者が怪異を見る目はどこか温かい。人間界と交叉するとき、不幸にも惨禍が発生することはあっても、それが必ずしも怪異の悪意に発するものかどうか。普通は被害を受ける人間側からはそこまで考えるだけの余裕はないだろうが、現代科学を分析ツールとし、論理や歴史で補強する0能者ミナトには、なぜかいつでも笑みを浮かべるだけの余裕がある。

 あるいはそれははったりであるかもしれないが、ともかく、怪異の意図の先まで見抜く力があり、それはプロの怪異討伐者(特殊能力たる霊力や法力を備えた神道・仏教の専門家集団)にも及ばぬところであるのが痛快である。そのようなミナトがなにを提起するかは次の一文にも表れている。

零能者の湊の怪異解体の方法は科学であり論理だ。それは法力僧達が信奉する神秘主義の価値観を揺るがしていく。