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見えないものを見えるようにすることの意味


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佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫、2004)

 

 1月6日はクリスチャンにとっては特別な日である。「主の公現」(Epiphany)という大祝日である。東方の三博士のベツレヘム来訪が象徴する、異邦人に対する主の顕現の日と説明される。

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[三王礼拝(Henry Siddons Mowbray, 1915)]

 

 神学的には、見えない神が見えるものとなった、すなわち、神の救いが見えるようになったことを記念する日であり、クリスマスを祝う理由となる日である。クリスマスから数えて12日目に当たるので、この日のことを Twelfth Day と、特別な名で呼ぶ。

 このことを、一般的に、哲学的に、考えてみたらどうなるだろう。手がかりとして佐藤雅彦の『プチ哲学』を開いてみる。第22章のテーマは<「見えないもの」を見る>となっており、最初のページに、静止した風鈴と、「あついよー あついよー」といいながら昼寝しているカエルたちの絵がある。次のページには、チロチロリンと鳴る風鈴と、スヤスヤ寝ているカエルたちが描かれている。

 見ることができないものは、人間にとって扱いにくいものだが、このように風鈴という道具を使えば、見えないそよ風が美しい音に変換され、風の存在がわかるようになる。このことについて、著者はこう述べる。

「見ること」が人間の最も得意な行為だとすると、「見えないものを見えるように(知覚できるように)すること」は、最も人間的な行為と言えるのかもしれません。(100頁)

 この説明は、見えない神が、人という見える姿をとることになったエピファニィの出来事と、とてもうまく符合する。

 さらに、詩歌の場合について敷衍してみると、詩をただ聞いたり読んだりするだけでは韻(rime)は目に見えないけれど、それを抽出して音の組織として型を明示すれば、存在が認識できるようになる。

 そのことについて、本書第7章のテーマ<外からつくる、内からつくる>で著者の語るところを見てみよう。

スポーツやファッションのように形からものごとを学ぶことは有効なことも多いですが、やはり基本は「内側からつくる」です。(38頁)

これを詩歌に敷衍してみると、内的な情緒や活力がなければ歌は支えられないが、詩として生きるためには音の組織化(韻律)が必要ということになる。つまり、詩歌は内と外の両方が必要である。その外の部分(形、韻律)は目に見えない。