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上質の音楽ミステリー


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ポール・アダム『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』(創元推理文庫、2014)
Paul Adam, Paganini's Ghost (2009)



 ヴァイオリンをめぐる数奇なミステリである。現代の殺人事件と、過去の音楽家をめぐる歴史ミステリとが複雑にからみ合う作品。舞台はイタリア北西部のクレモナ。数々のヴァイオリンの名器を生み出してきた土地である。

『ヴァイオリン職人の探求と推理』 (The Rainaldi Quartet [original UK title, Sleeper], 2004) に続くシリーズ二作目。

 音楽そのものに関わる要素と、音楽にまつわる世俗的なしがらみ、例えば金銭的な問題や人間関係などの要素のふたつがしっかり描かれており、謎解きの面白さと相俟って、豊かな読書の時間を過ごすことができる。音楽文化と犯罪ミステリの両方が堪能できる贅沢な小説である。翻訳が丁寧で安心して読める。

 複雑な構造をもつ小説だけれども、現代のほうの焦点はロシアの若き天才ヴァイオリニスト、エフゲニー・イヴァノフにある。エフゲニーから楽器について相談を受けるのが、ヴァイオリン製作者(luthier)のジャンニ・カスティリョーネ。ジャンニは楽器製作者ならではの勘を働かせて現代の楽器をめぐる謎、およびそれにつらなる歴史上の謎に挑戦する。過去のほうの焦点は19世紀の伝説的な天才ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニにある。パガニーニが弾いた楽器や、作曲した曲、愛した女性。それらが魅惑的な謎を形成し、ジャンニが謎解きをする過程で、読者もともに当時の歴史を追体験する心地が味わえる。

 事件はエフゲニーのクレモナでのコンサートの翌日に起こる。コンサートに来ていたフランスのアート・ディーラーがホテルで殺されているのが発見されるのだ。その財布には奇妙なことに楽譜の切れ端が入っていた。調べてみると、さらに奇妙なことに、それはエフゲニーの楽譜の一部だった。いったい、この楽譜と殺人事件とはいかなる関係があるのか。

 著者ポール・アダムは1958年生まれの英国の作家。現時点では本作に続くジャンニものは出ていないが、2010年の著者へのインタビューを読むと、時間が取れしだい、ジャンニが登場するミステリを書くつもりがあるらしい。楽しみだ。

 著者の音楽観の一端を窺わせる言葉がある。パガニーニのある幻の曲についてジャンニに「自分を見せびらかすためでなく、感情を表現するために作られた音楽だった」と言わせている(396頁)。シャン・ノース歌唱(アイルランド語無伴奏歌唱)の音楽性にも通ずる考え方であり共感する。ここには技巧をひけらかす音楽への批判がある。パガニーニの天才的技巧の表面だけを見ていては分からない、幼少時からヴァイオリンを弾いてきた著者ならではの、音楽への愛にあふれる言葉だ。

 音楽史は定まったもののように見えて、意外に謎がある。例えば、クレモナの弦楽器製作者を代表するストラディヴァリの作ったヴァイオリンは、塗料の調整法がいまだ解明されていない。なぜ、あれほどのすばらしい音色がするのか。あるいは、パガニーニの演奏者と作曲家との性格に違いがあるように見えるのはなぜかなど。しかし、謎が残るからこそ想像の楽しみもあることを、本書を読んで痛感した。クラシック音楽史とミステリの両方に関心ある読者にはおすすめ。