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幼少の者のことばから民俗の起原を探る


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柳田 国男『小さき者の声 柳田国男傑作選』 (角川ソフィア文庫、2013)




 柳田国男民俗学の意外な面が知れる著作。

 今は各地で消えかかっている習俗などの起原を、幼童のことばを手がかりに探ろうとする試みである。国語学者歴史学者などがおこなう語源探索と根本的に違うのは、視点を大人に置いていないことである。これがどういう成果をもたらすかは、個々の事例につき精査せねばならないが、いくつかの例で、はっとさせられる洞察を生み出している。

 ひとつだけ例をあげる。「遊戯起原」の項で柳田はまず、「人が忘れてしまおうとするような成人の行事が、ゆくゆくはかえって遊戯を唯一の史料として、だんだん説明せられるような時がくるかもしれぬ」と、方法論について説明したあとで、童遊の例としてオママゴトを取上げる。この遊びの日本各地の呼称について概観したうえで、最終的にカドママという紀州日高郡の習慣に触れる。盆に「家の外に台所道具を持ち出して、女の子が炊事をしていっしょに食べる」遊びである。

 ここから美濃の加茂郡の「辻飯」に至った時、時空を超えたスパークが走るように評者には感じられる。その本来の目的について、柳田は次のように述べるのである。

おそらくは昔の道饗祭(みちあえまつり)と同じく、精霊(しょうりょう)とともに飲食して、これを無害の地へ送ろうという趣意だから、とくに家の内を避けて四通八達の地を選んだのがもとかと思う。

 ここから伝説のブルーズマン、ロバート・ジョンスンの〈四辻のブルーズ〉("Cross Road Blues")や、アイルランドの「四辻のダンス」(“Dancing at the Crossroads”)までは、想像の翼があれば、ひとっ飛びである。

 このほかに木綿や野草についての興味深い考察もある。巻末の解説(鶴見太郎)に触れられていない「野鳥雑記」は夕暮れに聞こえる鳥の声に物思いをした経験があるひとにはことに興味深いだろう。彼ら小児たちがいかに「あの簡単な時鳥の一声を、これほどいろいろに、また意味深く、解釈」したか。柳田がこう語る。

彼らの不思議の国は茫漠たるものではあったが、しかも説法伝道の労を仰がずして、みずから夕方の窓によって、進んで「かくり世」の消息を問おうとしたのも彼らであった。

 彼らの感性を持ち続けた者にしか書けない文章である。本書読了後、数えてみると付箋を86箇所につけていた。すみずみまで発見がある。フォークロア民俗学はもとより、児童文学に関心ある人にも興味深い書と思う。