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Black Music and Irish Music


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 ポール・ブレーディの歌の先達への敬意はどこから来たかという問題にきのう触れた。ロックやポップは歴史が浅い。けれど、イディオムとしてはそれを用いる。はやりだし、かっこいいから。
 けれど、アーティストの実感としては何か抜けている感じが残る。やっていて、自分でも心のどこかに空しさというか、物足りなさ、満たされぬ思いが残る。

 自分は R & B から出発した。黒人音楽の場合、どんなイディオムになろうと、目に見えない伝統が非常に深く働いている。これは理屈ではなく、実感である。黒人の血と汗と魂の叫びがどうしても抜けない。
 しかし、自分は黒人ではない。こうした伝統は持ちたくても持てない。いや、待てよ。よく周りを見渡してみれば、タニーがいるじゃないか、オ・ヘーニーがいるじゃないか、ハナがいるじゃないか。彼らは立派な先輩だ。彼らの歌は完成された芸術の域に達している。これを勉強しない手はない。彼らの歌をみずからの伝統としてとりこもう。

 こういう、ポールがおそらく抱いた認識は、ヴァン・モリスンの至言「ソウル・ミュージックはアイルランドスコットランドの音楽から発した」(I have a theory that soul music originally came from Scotland and Ireland.)に通底する。つまり、どちらも「ソウル・ミュージック」なのだ。

 ポールがギターをかきならしながら歌うとき、リッチー・ヘイヴンズにも通じるような「ソウル」を感じるのは私だけではないだろう。

 ここまで考えてきて、ふと別の疑問がわく。クリスティ・ムアの歌いかたは一体何を源流としているのだろう。彼はポールより、もっとシンガー・ソングライターであると感じさせる。しかし、実際には、彼のほうが深く伝統に接しながら若い頃を過ごしているのだ。なのになぜ、クリスティのほうが伝統を昇華する度合いが強いと感じられるのだろう。どこで彼は伝統をふりきったのだろう。あるいは伝統をふりきったのではなく、伝統を深く知っているがゆえにあのように歌っているのか。どうもそんな気がする。