高橋順子 あはれメダカ
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詩人の文章はうつくしい。小説家の文章よりも。高橋順子さんの文章(8月6日付産経朝刊)は淡々たる文章ながら抑制の効いたトーンに情感がにじみでる。
高橋順子 あはれメダカ
ある日連れ合い(車谷長吉)がブリキの盥(たらい)を買ってきて、そこに水を張った。行水でもするんですか、と笑っていたところ、翌日デパートでメダカを十ぴき買ってきた。
体のわりに目が大きくて愛敬がある。ピチピチ泳いでいるのを見ていると、猛暑を忘れる。
自然水がいいとデパートの人が教えてくれたそうだが、近くに川もないし、思いつくのは雨水である。重たいものをもつのをいやがる人が、公園の水盤にたまった雨水を、蚊に刺されながら汲んできた。
翌朝一ぴき死んだ。連れ合いがデパートの人にたずねると、ブリキの金気(かなけ)がよくないと思うが、弱っていたのかもしれない、と一ぴきくれた。ポリエチレンの桶に全員うつした。
翌朝また一ぴき死んだ。これも朝顔の苗のそばに埋めたようだ。
さてそれからもメダカの死はつづいた。水草の上に小さな小さな魚が、まるい目を開けて横たわっているさまは哀れだった。
五ひきに減ってしまったとき、連れ合いは私にメダカの世話を頼んで、取材旅行に出かけてしまった。日をおかずに三びき死んだ。全滅するかもしれない。明日死ぬかもしれないんだから、たくさん食べなさい、と餌をやる回数を増やした。すると彼らは生きのびているではないか。
デパートへメダカを二ひき買いに行った。連れ合いに、死んだのは一ぴきだけだったよ、と言いたかったのだ。「東京の雨水なんてとんでもない。酸性雨ですよ」と店員さんに言われた、「ミネラルウオーターもいけません」。
買ってきたメダカはなんとヒメダカで、緋色をしており、私は嘘をつけなくなった。連れ合いは旅行の帰りにまた十ぴき黒メダカを買ってきた。水道水の中和剤とともに。
今度は大丈夫。先日短いまつげみたいなメダカの赤ちゃんを四ひき確認した。
(たかはし・じゅんこ=詩人)
(写真はヒメダカ)
これはこれでほほえましい情景なのだが、自然界におけるメダカに視点を移すと事態はやや深刻である。
神奈川県立生命の星・地球博物館の「自然科学のとびら」6巻2号によると、「1999年2月に環境庁が公表したレッドリストにおいて、メダカは絶滅危惧II類(絶滅の危険が増大している種)にランクされた」という。メダカやヒメダカの川への放流は善意によるものでも問題を引起すことがあるという。放流地の生息環境がメダカが生息できる環境かどうかということと、そこにメダカが自生している場合にはその地域とまったく異なる遺伝子を持つメダカを放流するとその地域の独自性が失われること(「遺伝子汚染」と呼ぶらしい)などが大きい。この記事を書いた学芸員(瀬能 宏さん)のような問題意識を地域の人が持っていればよいけれど、メダカのような小さな生き物にそんな問題があるのかと驚くのが一般の反応だろう。こういう問題に対する意識を育てるには、小中学校できちんと地元の生態系を教えることから始める以外にない。