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ボブ・ディランの 'Blowin' in the Wind' をめぐる横尾忠則と鴻巣友季子の対談


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「すばる」2017年8月号

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横尾忠則鴻巣友季子「宇宙的広がりを読み解く——ボブ・ディランの詩(うた)の魅力」

25ページにわたる対談。題材はボブ・ディランの 'Blowin' in the Wind'.

横尾はディランと意外な関係がある。1984年か85年に、ジャケットをデザインしてほしいとオファーをもらった。横尾が画家に転向して少し経ったころ。

「マネージャーがその打ち合わせのためにわざわざ日本に来て、ホテルオークラに一泊して帰っていった。ディランみずから僕の絵を寄せ集めて、コラージュのような鉛筆書きのジャケットを作ってくれていたのです。マネージャーがその作品を僕に見せて、こういう感じでやってほしい、と。すごく興味が湧いてぜひ作りたいと思ったのですが、実はその翌日からイタリアに行く予定でスケジュールが合わなかった。非常に残念だったし、申し訳ないと思ったんだけれども。」

横尾はこう語る。が、それにとどまらない。

「不思議なもので、彼が僕の作品に関心を持ってくれた時点から、急にディランへの関心が生まれてきたのです。彼が僕に興味を持つのは、僕と彼には何か共通項があるはずだ、それを彼は探ったのかも知れない。僕も同じことをしたかったけれど何しろ言葉がわからない。今日のように訳したものがもしあれば、もっと早くディランの思想というか哲学に気づいていたと思います。やはりメロディーでわかるのはほんの一部で、歌詞に秘密や謎がかくれている。」

横尾が気づいたのは、転生をベースに歌詞が解釈できることだ。具体的には

Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?

のところについて

「『幾人の人が死ねば』とは、ふつうに考えると戦争で人が殺されるという意味になりますが、『何度死ねば気づくのか』というとまた少し転生的なものも感じます。」

と言う。いろんな社会的な煩悩を抱きかかえた人々である「個人」から、世俗的なものから離脱している「個」になり、宇宙とつながっている感覚が生まれると考える横尾の考え方に沿う。



おもしろい。ただ、この 'deaths' は必ずしも転生や仏教などを連想せずとも解ける。一人の人であっても何度か「死」をくぐり抜けることはキリスト教でもある。



Yes, 'n' how many times must a man look up
Before he can see the sky?

の sky について横尾はこう言う。

「この sky は『空』以外に『天』という意味はないですか。この sky はひょっとすると『天』や『神』という意味かもしれません。『その目に神が見えるのだろうか』という『その目』とは、肉体的な五感の機能です。それをいくら使っても五感を超えた天や神は見えっこない。」



sky の「空」以外に「天」の意はふつうの辞書に出ている。が、「神」となると、ランダムハウス大英和辞典くらいしか出ていない。OED の 4.a. には

The celestial regions; heaven; the heavenly power, the deity.

と、はっきり「神」(the deity)の語義が記されている。



ふだんから横尾の作品や考え方に親しんでいる人には特に驚きはないだろうけれど、そうでなければこのディランの解釈には少し驚くかも知れない。

 

 

 

すばる2017年8月号

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