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ゾーヴァのグミベアー


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ドイツのミヒャエル・ゾーヴァの絵を3冊の絵本で愉しんだ。

1. ちいさなちいさな王様
2. 思いがけない贈り物
3. クマの名前は日曜日

まず、『ちいさなちいさな王様』

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アクセル・ハッケ作(講談社、1996)。内容にふかみがあり絵が魅力を高めている。「大人のための童話」と称されるが確かに大人でも読みごたえがある。翻訳もいい。読んだあとにグミベアの存在感が増す(?)かもしれない。クマの形のグミだが王様の好物なのだ。

この王様、いまはちいさいが元は大きかった。つまり、生まれて以降だんだんちいさくなる。ふつうの人間と逆だ。しかし、それと反比例するように夢がだんだんおおきくなる。これもふつうの人間と逆だ。そこに本作の最大のポイントがある。それにしても、最初がおおきいのなら、どうやって生まれるのか。

星をみたときふつうの人間はおのれの卑小を感ずる。ところが王様は星をみておのれが宇宙大にまで膨張する。まるで米詩人ホィットマンの「ぼく自身の歌」ばりの宇宙意識だ。

何度も熟読に値する傑作。

つぎは、『思いがけない贈り物』

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エヴァ・ヘラー作(講談社、1997)。サンタクロースが用意したプレゼントのうち人形がひとつ余ってしまう。どの子供に配るべきなのかをサンタが探しまわる話。

現代っ子気質がよく活写されている。人形ひとつとっても、子供との関係が一様でないことが分かる。佳作。

さいごに、『クマの名前は日曜日』

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アクセル・ハッケ作(岩波書店、2002)。幼少のころのクマのぬいぐるみの思い出を語るのに、枠構造をとっているのだが、翻訳のせいか、話が分かりにくい。枠の部分の一人称が「わたし」、中身の話の一人称が「ぼく」。なぜ二つを区別しているのか分からない。7頁の「そのときからわたしは、いや、ぼくは、日曜日という名前のクマと、いつもいっしょだった。」の原文をみてみたい。本当にそんなことが書いてあるのか。「わたし」の方は大人、それも人生の後半に達した大人を感じさせはするが、ドイツ語でそんなことが表現できるのか。

この翻訳文は何度よんでも話の内容がさっぱり頭に入らない。ゾーヴァの絵はすばらしい。
 

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ちいさなちいさな王様

ちいさなちいさな王様

 

 

思いがけない贈り物

思いがけない贈り物

 

 

クマの名前は日曜日

クマの名前は日曜日

 

 

 

 

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