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「歴史小説」以前である


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ポール・モーガン『ペラギウス・コード  -古代ローマの残照の彼方にー』

 

 4-5世紀のローマ帝国の末期的状況をアウグスティヌスの論敵であったペラギウスを中心にえがいた歴史小説。原著は2005年にオーストラリアのペンギン・ヴァイキング社から The Pelagius Book の題で刊行されたが、現在、絶版。電子書籍化もされていない。

 語り手はカエレスティウス。本作ではペラギウスの「秘書」とされている。本作ではペラギウスの教えを忠実に受けてブリタニアにペラギウスの思想を広めにゆくとされる。

 本作の主人公はペラギウス。ブリタニア出身。本書によれば〈自由意志を強調するペラギウスは、アウグスティヌスの主張(原罪と罰と肉体の汚れを強調)に真っ向から異を唱える人物として注目されることとなったが、キリスト教ヒューマニズムともいうべき、斬新かつ明晰な彼の思想は、帝国各地の貴族や知識人の間に絶大な支持を得ていった〉。

 いま引いた文章は物語が始まる前の「歴史的背景」という序章からであるが、これがすでに「歴史的背景」でない。はたしてペラギウスは〈真っ向から異を唱える人物〉であったのか。〈キリスト教ヒューマニズムともいうべき、斬新かつ明晰な彼の思想〉といえるだけの材料があるのか。

 ここがすでにフィクションであるとすれば、それは一般に理解される「歴史小説」の枠を逸脱するだろう。おそらく多くの読者はここは「歴史的事実」を書いたもので、そのあとに始まる物語がフィクションだと了解するだろう。だとすれば、出発点が既に歪んでいる。

 出発点ということでいえば、「物語」の書き出し(の原文)は高い評価を受けている。しかし、本書からはあまりそれが感じられない。ヘラクレイトスの断片79の引用だけれど、そこに含まれた逆説的言説およびそのあとの文が日本語として意味があまりわからない。冒頭の一文がヘラクレイトスの引用であることは著者自らが断っているが、実はそのあとの、段落最後の文も、他の思想家の引用あるいは変奏ではないか。評者はこれはゼノンの静止した矢のパラドクスへの言及だと考える。

 こういうふうに物語で最も力を入れたであろう冒頭の段落が、本書では理解がむずかしい。小説で最も重要な入り口がこれでは、「小説以前」であると考えざるを得ない。

 もうひとつ、評者が本書の「歴史的背景」の把握に疑問を感じる点がある。巻末の「謝辞」に挙げられた参考文献表に、肝腎のカルタゴ教会会議(418年)の文書(DS222-230)がないことだ。この文書に当たっていれば、教皇ゾシムスが承認したことが確実なのはDS225のみで、他の条項については承認したかどうかが不明であることがわかるはずだ。本書は神学的問題が中心的テーマであるにもかかわらず、その原典に当たっていないことは著者の姿勢に疑問をいだかせる。

 以上のことから、ペラギウスをめぐる歴史小説を通じて、この時代のローマ帝国や神学的状況の理解を深めたいと思う読者には、本書はあまり適当とは言えない。

 

ペラギウス・コード―古代ローマの残照の彼方に

ペラギウス・コード―古代ローマの残照の彼方に

 

 

 

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