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『春の庭』と選評


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柴崎友香『春の庭』

 

 読んで柴崎友香とわかる文体があるかといえば、ある。いわばカメラのような文体だ。本人は「静止した写真というよりも移り変わっていく景色に近い」といい、「カメラが常に移動していく、車窓のような写真」だという。

 読者のほうからみれば、目の前の情景だけでなく、過去の情景も映し出すようなカメラに思える。別のところで柴崎は「過去も、遠い場所に似ている」と書いている。「その時しか行けない、過ぎてしまえば2度と行けない場所。そんな時間と場所への思いをめぐらせながら、『春の庭』を書いた」という。

 小説は現在の東京を舞台としながら過去の東京の姿を髣髴させる。登場人物たちは、現在の東京を足がかりにしながら、写真集『春の庭』に映る、ある家の在りし日の姿を追い求める。人と人との関わりというより、むしろ現在の人と過去の人あるいは場所との関わりのほうが重要にみえる。

 観方をかえれば、一種のノスタルジアだ。D・H・ロレンスが書いたような。今後、ロレンスのように進むのかそれとも独自の道をゆくのか。

 本書は第151回芥川賞受賞作だ。選考委員九名による選評も読んだ(「文藝春秋」2014年9月号)。

 選考委員による選評はつまらない。だれひとり、本気でこの小説を評価していないようにさえみえる。

 田中弥生という文芸評論家が別のところで書評を書いていて、「本書の登場人物は皆、物語の中でも特に悲劇の種を持つ人物として描かれている」とし、それが発芽しないのは「本当の言葉と、それがもたらす驚きなのだ」と主張する。そんな「本当の言葉」を評者も探してみた。だが、見つからなかった。

 本小説の核となるのは架空の写真集『春の庭』への憧れだろうが、それをもとに「本当の言葉」を紡ぎだすにはあまりに晦渋なアプローチのように感じられる。

 どうしてだろうか。選考委員の宮本輝は「小説が終わりに近づくにしたがって、主題そのものから逃げ腰になっていくという歯がゆさを感じた」と書く。それは「書き手の主題が単なる思い付き程度だと、譬喩はどこまで言っても真実へと転換されない。だから逃げるしかなくなるのだ」と断ずる。

 はたして、本小説に「本当の言葉」があるのか、「逃げ腰」があるのみなのか。写真集『春の庭』が、作中作としての魅力に乏しいと感じられる評者は、後者の評価に傾く。

 

春の庭

春の庭

 

 

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