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倫敦の空と谷底の漱石


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夏目漱石「永日小品」新潮文庫『文鳥・夢十夜』所収) 

 

 漱石の文章は神経症の文章らしい。神経症の人にはそれが分かると云わんばかりに津原泰水が書いている。

 その津原をして、「好きでならない」と云わしめた「永日小品」。

 日常の些事を淡々と綴るだけと見えて、じつは神経が大なり小なり冒される、あるいは静かに興奮するほどの経験や観察や、あるいは夢想が、知らぬうちに行間から滲み出てくるような文体である。随想というより幻想譚というほうが、明らかにすわりがよい作品も含まれる。

 日本の正月のことを書いた文章にも味があるが、留学先の倫敦を書いた文章に日本人ならではの眼が働いている。特に、下宿の婦人の描写(「下宿」)と倫敦の雑踏のスケッチ(「暖かい夢」)に非凡なる洞察が感じられる。

 スコットランドの谷の話(「昔」)もおもしろい。倫敦は漱石には合わなかったが、このピトロクリの谷(Pitlochry)は1902年に滞在した漱石を魅了した。

 「クレイグ先生」に出てくるクレイグ先生が愛蘭土の人で「言葉がすこぶる分らない」と書く。愛蘭土の英語が分からぬなら蘇格蘭の英語もそう分かったはずがない。発音だけでない。「その字がけっして読めない」とある。意思疎通がそもそも困難であると思しいのに教わるとはいい度胸である。だが、じつはこのクレイグ先生はアーデン版のシェークスピアの編集者である。アーデン版といえばシェークスピアに関する注釈書の最高峰である。つまりは大した学者なのである。

 津原泰水が「好きでならない」と書いたのは本書を読めば納得できる。恐らく、完全に覚えてしまうくらい読込んでいることが、津原の文体を見れば分かる。しかし、時として漱石の文体はあまりの高みに達しており、余人の追随を許さない域にある。

 漱石は倫敦の町を歩いていて「この都にいづらい感じがした」と書く。その感じを日の届かぬ谷底に喩える。

建物は固より灰色である。それが暖かい日の光に倦み果てたように、遠慮なく両側を塞いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。
                       (「暖かい夢」)

 それに引比べてスコットランドのピトロクリは本物の谷だけが持つ魅力を備えている。

十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。(「昔」)

同じ灰色でも倫敦の灰色とはいかに違うことか。この自然が漱石には慰めであった。

 

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Pitlochry

 

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)