伯爵夫人の心の聖域とは
[スポンサーリンク]
「夜行巡査」と並ぶ、鏡花の出世作。明治28(1895)年に発表された小説。
小説としては、ごく短いけれども、濃い。吉永小百合主演で映画化(1992)されたとき、その上映時間をつかって、「一瞬のような五十分、一生のような五十分」というコピーにしたのは、うまく言ったものである。
まさに、一瞬に一生が凝縮されたような作品である。
ただ、よほど注意していないと、話が見えない。
純情が極まれば、信心にも近づく。どちらも、死の直前に、生の真の意味を知る。
舞台は手術室。伯爵夫人が開胸手術を受けようとしている。だが、問題がもちあがる。夫人が麻酔を拒むのである。麻酔により心の秘密をうわ言のように漏らしはしまいかと怖れるのだという。このままでは手術ができない。そのとき、不思議なことがおきる。執刀医が外科医長だと確認すると、夫人は麻酔ぬきで手術してくれと主張する。いったい、どうなるのか。
この小説は究極の愛の物語であると同時に、一種のミステリである。真相がわかった読者は二度三度と読みかえすことになるだろう。
後半の、手術の九年前の話に出てくる二つの言葉について、余計なことながら、註釈を書いておく。「北廓」(なか)は、吉原の遊郭のこと。「肌守りを懸けて」は、肌にお守りをかけること。
バラッドで、恋人同士が死したのち、それぞれの墓から生えたバラがからみ合う歌があるが、それをすこし想わせる。忘れ得ぬ作品。