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Zizou


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〔蔵出し記事 Thu, 20060706〕

 

 ジズーはジネディーヌ・ジダンの愛称だ。
 こういうフランス人には見えない Z で始まる名は、例えばザズーを想起させる。マグレブの伝統か。Z 会と呼ぼうか(笑)。

 ジネディーヌ・ジダン (Zinédine Zidane) はアラビア語の名 Zin a-Din Zidan (زين الدين زيدان) をラテン文字に転写した綴り。北アフリカ山地のコーカソイド人種であるベルベル人のカバイル族が住むカビリア(アルジェリア北部)が祖先の地だ。ジダン自身はマルセイユ生まれだけれども。

 エクトル・ザズー (Hector Zazou) はアルジェリア生まれだけれど、父はフランス人、母はスペイン人だ。彼が 1998 年に発表した Lights in the Dark に出会っていなければ、私はラーサリーナ・ニホニーラを知ることは恐らくなかっただろう。

 ジダンは1993年にスペイン系のフランス人ヴェロニク (Veronique) と結婚し、Enzo, Luca, Théo, Elyas の四人の息子をもうけた。このうち、Elyas だけがムスリム名。Luca, Théo はクリスチャン・ネーム。Enzo は Enzio という異綴りもあるイタリア系の名で、語源的には Henry と同じ、つまり元は中高ドイツ語のハイマリヒ(Heimerich)、つまりハイム(英 home)の主権者の意らしい(他説もあり)。イタリアの名車フェラーリの設計者はエンツォ・フェッラーリ (Enzo Ferrari)。

 ヴェロニクはモデルにしてダンサーだった。そういう人と結婚するところに、敬虔なムスリムからは眉をひそませるところが仮にあるにせよ、ジダンジダンだ。いかに激戦中でも、ジダンは周りにどこか静謐な空間を纏っている気がする。それは、ラテン系や黒人のプレーヤーらの中にあって異彩を放つ。この不思議な名選手が見られるのも、月曜朝の試合を残すのみとなった。

 その月曜(2006年7月10日)の試合はジダンがイタリアの DF マルコ・マテラッツィに頭突きをくらわせ退場した。何とも後味が悪いジダンの現役最後の姿だった。しかし、今もなお二人の間に交わされた会話の真相は明らかになっていないものの、ジダンの勇姿はいささかも損なわれず目に焼きついている。いろいろな意見があるなかで、二宮清純さんの文章(「ボイス」9月号)を読み、ある意味で溜飲が下がった。 

立派だったジダンの「暴力」欧州のメディアは、まるで鬼の首でも取ったかのように「世紀の愚行」と書きたてた。だが、私には同僚のトレゼゲが口にした「サッカーよりも大切なものが人生にはある」との一言のほうが胸に重く響いた。

 

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