彫刻のメタフィジクス
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詩人にして彫刻家の高村光太郎には「(私はさきごろ)」というミケランジェロの宗教を論じた文章がある。
これが宗教論としてはいかにも独断的で説得力にとぼしく、いささかがっかりさせられるのだが、彼にこれほどの独断をさせたのは、ミケランジェロのいったい何であろうかと、むしろそのことのほうが気になった。
そこで、正面からミケランジェロの彫刻を論じたこの文章を読んでみた。結果は、彼の確信の底にある宇宙観のようなものに突き当たり、ある程度、得心した。
小説を論じるときにメタフィクションという観点がある。文芸批評の分野ではフィクションについてのフィクション、あるいはフィクションの性質を論じるフィクションのことをいう。
それに類した言い方をすれば、高村のここでの議論は、ミケランジェロから出発して、メタスカルプチャ(彼のことばでは「高次の彫刻」)を論じたものだ。
それは最後には人類のレベルに達し、さらに星の世界にまで向かう。短いが熟読に値する。