Tigh Mhíchíl

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嘉日 La maith


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Lasairfhíona, Flame of Wine (Claddagh, 2005)

 

 期待にたがわぬ出来……などと冷静に語ることはできぬ。むしろ、思ってもみなかった曲の存在に驚愕するというのが正直なところだ。

 それはトラック6 'Galleon' だ。クレジットでラーサリーナ・ニホニーラのオリジナル曲と知って腰を抜かす。これは何かロックの名曲だろうと思って聞いたからだ。これは大変な曲だ。ジョン・レノンを想い起こすほどの曲だ。

 もちろん、他のアイルランドの伝統曲などは予想通り素晴らしい出来で、本当に申し分ない。しかし、この曲があるおかげで、ラーサリーナというアーティストの奥行きを新発見したような心地がしている。

 全体に、音楽的構成は簡潔極まりない。が、構想は実によく考え抜かれている。シンプルでいて、これほどの高みに達する音楽はそうはない。

 肩の力が全く入っていない。あるいは、そのように聞こえる。余分な力が抜けたとき、アーティストの能力は全開になる。

 アイルランド語のひびきにわざとらしさが全く感じられない。ここでも余計な力みは感じられない。しかし、よく調べれば、アイルランド語詩史に対する敬意は相当のものだ。特に、トラック7。

 さらに、もう一つ深く驚嘆することがある。多くの曲がオリジナルの歌詞を附けられていることだ。これは完全にシャン・ノースの歴史に合致する。シャン・ノースの歌曲は、ショーン・オ・リアダの説によれば、ヨーロッパ音楽とは全く違って、先に曲があり、それに詩を附ける。詩が先にあって曲をつけるのではない。

 このアルバムではそのような作業をごく自然に行っている。作家のお父さんダーラの詩才が活かされている。ただ、一つおもしろいことがある。新しい詩を考える場合、アイルランド語ならお父さん、英語ならラーサリーナとなっていることだ。

 今日は、よい日だった。

 もちろん、世界は今日も悲哀に満ちている。だからこそ、こういう日が必要なのだ。

 贔屓の球団はいつも勝つとは限らない。だけど、世界の被災地の悲劇を見て悲しみに凝固まった肩をほぐすには、このような音楽もある。