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「戴冠前の聖母」(マリア十五玄義図) Mary before coronation


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京都大学総合博物館所蔵の「マリア十五玄義図」について

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[2013年の展示ポスター]

 

 この図について「教義上の誤り」の語が2006年の公開時に使われたことがある。2006年2月21日付の産経新聞大阪本社版夕刊に明記されているので、簡単に書いておく。結論から言うと、栄えの第四玄義に関わる。その記事は京都総局の山上直子さんの署名入りで、2月1日付の記事より少し詳しい。

図像が語る受難の歴史図像は戴冠前の聖母がすでに冠をかぶっているなど教義上の誤りが指摘されて〔いる〕。〔中略〕
 昭和初期の発見当時に行われた聞き取り調査では、〔大阪府茨木市音羽の〕集落に住んでいた当時八十代の女性が「かつては七日ごとの祈りや年に一度の復活祭が密かに行われていた」などと証言している。

 「戴冠前の聖母がすでに冠をかぶっている」のは栄えの第四玄義の図だ。これが「教義上の誤り」とされているのは、第四玄義は被昇天(マリアが天に上げられること)の段階であり、第五玄義での天の聖母の載冠がまだ起きていないはずであるから。

 天の女王たるマリアの教義が、戴冠の前提となる。ネメシェギ神父はその思想は13世紀から起こると述べるが、すでにダマスコの聖ヨアンネス(7-8 世紀)は「女王」マリアと書いている。

De fide orthodoxa(マリアは)創造主の母であったため、すべての被造物の女王となった

 この思想が教義として公式化されるのは 15 世紀のシクストゥス4世の教書(Cum praeexcelsa、1477年)が最初と思う。

Cum praeexcelsa天の星に包まれ、あかつきの明星のように導く、天の女王 であり神の生母である処女について、尊敬の念をこめて考えてみたい。(DS 1400)

 このことは、その後も、ピウス 12 世による教皇令(Munificentissimus Deus、1950年 〔DS 3902〕)や回勅(Ad caeli Reginam、1954年 〔DS 3913-3917〕)で確認されている。ただ、「冠」の語そのものは、これらの教皇令や回勅には出ない。冠はあくまで女王のシンボルである。

 ネメシェギ神父が指摘する通り、「マリアが天においてキリストから天の女王として冠を受けた」とする、13 世紀に現れた思想は、その後の冠の図像化の由来にはなっているが、このことそのものが厳密な意味での「教義」(dogma)とは謂えない。従って、「教義上の誤り」は言い過ぎで、(伝統的)慣習に反する、つまり伝統に反すると謂うのが神学的には正確である。神学ではドグマは厳密に扱われる。教義はピウス 3 世による大勅書(Ineffabilis Deus、1854年)のように、教義宣言される(DS 2803)。

 カトリック新聞(2006年2月15日付)には次のようにある。

第14図第14図の被昇天ではマリアの頭上に冠が輝いているが、マリアの戴冠は被昇天後の15番目の玄義で黙想するため、誤りであるという指摘も専門家から出ている。