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「世の中には理性ではどうにもならないことがあることを、踏絵も知るべきだった」――梨木香歩の「きみにならびて野にたてば」(第4回)について

梨木香歩

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 梨木香歩が「本の旅人」に連載した「きみにならびて野にたてば」の第4回(2013年1月号)について。

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承前宮沢賢治と保阪嘉内との友情の原点たる岩手山登山。その資料。「電信柱」や「空」の背景。作者梨木香歩にとって詩とは。伝わること。

 今回は「『宮沢賢治の青春』――アザリアの頃・二」。キーワードとして「伝わること」「手紙」「風」など。作者は時系列に忠実に添って書くことに難渋しており、結局、とらわれず自由に書き進めることにした。キーになることばや時間を、別の角度から何度もなぞるような書き方だ。

 考えてみれば、伝記的に書くといったって、人の心は時系列に忠実に添うわけのものでもないし、どう書けば「伝わる」可能性があるかと「光を探る」ようにして書く作者を、信頼する他はない。評者は過去に梨木作品を読んだ経験から、ここでは梨木香歩に全幅の信頼を置いて読み進めたい。

 「甲州から東北の地へ颯爽と現れた」保阪嘉内は「一種天才的なところがあった」。「ものごとの本質を刺し貫く、光芒一閃といったセンス」があった。同じ光芒一閃を賢治も持っていたが、「それは外部に向けパフォーマンス性を秘めた嘉内のそれよりも内側で、そして光へ向かう方向性を持って発生するもので、しかも豊かな畑に開かれていたように思われる」と梨木は書く。天賦の才が外なる光へ向かう嘉内と内なる光へ向かう賢治。しかし、嘉内の光芒一閃は一瞬にして駆け巡る風のようで、あまりに速度があり過ぎ、豊かな実を結ぶ暇がなかった。この二人の対照は心に鮮烈に残る。

 この小説がブッキッシュな探索に終わるはずがないことはうすうす感じていたが、梨木は関係者に直接会って取材する。保阪嘉内の次男、保阪康夫に会うのだ。嘉内はその不遇の人生を42歳のときに閉じる(その3年あまり前、賢治も世を去る)。当時小学生だった康夫は嘉内の臨終の言葉を覚えていた。
 

「見ろ、ひとはこうして死んで行く」、と父は言ったのです。それが最後の言葉でした

 

 賢治からの仏教への入信の誘いにも否と答えた嘉内。死生観の違いは彼らが会った当初からあったものだ。

 梨木は彼らの間に交わされた私信を読むことに罪悪感を感じている。みずからの卑俗な好奇心を自覚するからという点と、「二者間の空気が読めない第三者には正しく読み込むことができない」という後ろめたさがあるから。それを克服するために、梨木は「二人の間にかかっている友情の術に、自らかかってしまう」という方法をとることにした。この方法は、それしかないだろうとは思わせるけれど、よほど対象に入れ込まなければできないわざであろう。しんどいだろうとも思うが、意外にも、梨木は「間違いなく読者は嘉内を賢治のように慕うようになる」という副作用があると書くのだ。

 自作を発表する勇気などなかった賢治が方針を変えたのは、<「伝わる相手」・嘉内を発見したことによる>。それは賢治のすべての作品についていえるのではないかと梨木は述べる。確かに、表現者にとって、「伝わる相手」がひとりでもいることは、天地ほどの違いをもたらすだろう。

 梨木個人の自伝的とも思われる話も並行してつづく。「ケベックの風」と題された章では、神学的なこと、信仰のこと、神のこと、明晰であらんとする志向と緻密に事物を把握しようとする志向の相反するベクトルをわが身に引き受けて生きる決意をしたこと、等々が語られる。風のようにやってきたケベックでの恋のことも。神を信じない彼といかにして梨木香歩は恋におちたのか。自問自答する際のもうひとりの自分を「踏絵」と命名するのは可笑しい。初対面の彼と秋にコーヒー屋で出会って、それから冬まで一緒に過ごすとは。踏絵は「ほんとにそれでいいの、この人でいいの?」と意見するが、梨木は「こう流れて行くのだからこうなるのよ」と踏絵を黙らせた。「世の中には理性ではどうにもならないことがあることを、踏絵も知るべきだった。」この、ある意味で深刻な小説で笑うところがあるとすれば、ここしかないと思った。

 「風が山から」の章は、『風野又三郎』と、嘉内による「八ヶ岳おろし」の話。甲府の地元では「八ヶ岳おろし」を「風の三郎」と呼んでいたこと。その話を聞き、マントを着て飛んでいる風の三郎の姿を空に思い浮かべる賢治。賢治には、「風の三郎が、八ヶ岳から世界の気流を駆けるさま」が浮んだ。