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宮沢賢治の青春をめぐるフィクションとノンフィクションのあわいのような梨木香歩の「きみにならびて野にたてば」(連載第1回)について


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梨木香歩「きみにならびて野にたてば」(連載第1回)

 

 梨木香歩の「きみにならびて野にたてば」は「本の旅人」の2012年10月号から2015年11月号まで連載された。はじめはフィクションが事実の合間に交わる形だったのが、長い休載の後はノンフィクションとしてのみ書き通された。こうした表現形態の変化が単行本化されるときに整えられ大幅に変わる可能性もある。そこで、連載時に気づいたことを記録として残しておくことにする。

「本の旅人」(2012年10月号)

 梨木香歩が「本の旅人」に連載した作品「きみにならびて野にたてば」の第1回(2012年10月号)について。

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宮沢賢治の詩「きみにならびて野に立てば」

 題名は宮沢賢治の詩の題から。第一連はつぎのように詠う。

  きみにならびて野に立てば
  風きらゝかに吹ききたり
  柏ばやしをとゞろかし
  枯葉を雪にまろばしぬ

 岩手県の盛岡の北西10kmくらいのところにこの詩の石碑がある(写真参照)〔「きみにならびて野にたてば」詩碑 のページより〕。詩碑の向こうに岩手山が見える。山には雲がたなびいている。この風景は本小説にとってやがて重要な示唆を与えてくれそうだ。

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 ふつうだと、このあとに「げにもひかりの群青や、/山のけむりのこなたにも、」とつづくのだが、本小説で梨木が引く詩では、まったく違うテクストが三連つづく。この意図はなにか。

本作のねらい

 本作のねらいを梨木はこうしるす。

職業は詩人で通しているが、これから私が書こうとしているのは散文だ。主に宮沢賢治と彼の学生時代からの友、保阪嘉内との間の友情に、少なからず影響を受けた――あるいは人生を支配された、に等しい――人々に起こったことを記録するための。(プロローグ)

 この書きだしには尋常でない迫力がある。なぜだろうと思って読み進むと、青春について真正面から関わることは命がけだということが示唆される。実際、『宮沢賢治の青春』という、二人の友情とそれが賢治作品にどう影響したかを考察した本の著者、菅原千恵子は、病を発症し、命を落とした。その菅原の一生を書き留めねばという個人的な思いが本作品の執筆動機の一つだと梨木は明記する。

 

 しかし、どのような体裁でそれをしるすか、梨木は悩んだあげく、「個人の名前も年齢も、虚実取り混ぜて、表面的な事象の奥深くにある、記しおく価値があると信じる真実を導きだす助けとして扱」うことにするのだ。それが、フィクションとノンフィクションのあわいのような作品となった。その目的は「青春のもつ計り知れない力が、人を生の深部にまで引きずり込み、翻弄し、その後の人生を決定するようなある心象を刻印する」ことにある。

雑誌「UR.」(うる)

 連載の第1回では、宮沢賢治と初めて出会った小学生以後の重要な出会いとして、中学二年のときに手に入れた、宮沢賢治の名が載った雑誌「UR.」(うる)のことが語られる。そこに収められた巻頭言「葉緑素の思想――UR、童性」という林昇順の文章が全文引用される。これは圧倒的な文章だ。「過剰で絢爛たる文章」で、「地に足つけず疾走する文章」であると語られながら、「すさまじくセンスが良」いと書かざるを得ないほどの文章。梨木はそれに惹かれた。

 高校生になると、〈結局「文学」は自分が一番知りたいことの周りをぐるぐる回るだけだ、不毛だ、というこれも今にしてみれば短絡な結論を出〉すに至り、「UR.」はまだ持っていたものの、大学時代には、いつしか「UR.」は身の回りから消えていた。かくして、梨木の賢治の青春をめぐる旅は始まる。

 

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