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あけびやライチーのほろにがさから始まる苦味談義


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片山廣子「あけび」(『新編 燈火節』(月曜社、2007)所収)

 

 片山廣子(1878-1957)は松村みね子の筆名でものした達意のアイルランド文学翻訳も有名で、たとえ本名の片山名義の文章や歌であっても、アイルランド・ファンには合うところが多いように感じる。この随筆「あけび」を収める『燈火節』(1953)は1954年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 1920年、片山は夫貞治郎と死別した。この随筆のころは山形生れのHと同居していたと書いてあるが、そのHは〈かねてからあけびは実よりも皮の方がおいしい、皮を四五日かげぼしにしてから細かくきざんで油でいためたのを醤油でゆつくり煮しめて食べる〉としきりに言っていたので、その料理を作ってもらう。食べた感想は〈じつに珍味であつた。ほろにがく、甘く、やはらかく、たべてゐるうちに山や渓の空気を感じた〉とあり、これはぜひ食べてみたくなる。

 そのあとは、さまざまなほろにがい食べ物の話がつづき、苦味だけでよくこれだけ話がつづくと感心する。まずは茘枝(れいし)。中華で出てくるライチーのことだ。〈茘枝をいためて煮つけたのも甘くほろにがく、やはらかく、そしてもつとふくざつな味〉だと書いてある。

 つづいて蕗のとう。苦味でいうとこれが一番苦いとあるが、友人たちと蕗のとうの好き嫌いを話し合ったとき、〈「根性の悪い人が蕗のとうを好きなんでせう」と或る江戸つ子の友達が言つた〉ので片山は自分は善良だが好きだと反論した。しかし、そのあとに〈私はずゐぶん気むづかしい人間だから彼女の言葉が本当なのかもしれない〉と述懐するのが可笑しい。

 それから、うこぎの新芽くこの葉につづき山うどの話が出る。〈朝の食事にパンをたべる人がうどを皮をむいてタテに割つて生のまま塩をつけて食べる時ほんとうに春の味がするといふ〉とあり、へえと思う。もし、手に入ったら試してみたい。

 お茶のにがみの話はなかなかおもしろい。お茶を出す接待のしかたは戦前と戦後で違うらしく、〈世の中すべてアプレになつてこの頃はそんな念入りな接待法がなくなつたことは嬉しい〉などと書いてある。

 最後は〈ざぼんをガラス皿にほごして白砂糖と葡萄酒をかけ〉た前菜を出してくれたアメリカ夫人の話で終わるのだが、これ以外はほぼ日本の食習慣に関わるものであるにもかかわらず、どこかその感性に日本離れしたものを感じるのはなぜだろうか。軽妙な筆致にひそむ理知の貫徹ぶりがそう感じさせるのかもしれない。