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ミハル・アイヴァス「もうひとつの街」第8-9章の異界感覚


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【データ】21世紀東欧のSFを集めた『時間はだれも待ってくれない』(東京創元社、2011)の企画の発端がチェコであったこと。そのチェコから採られたのがミハル・アイヴァス『もうひとつの街』第8-9章であること(Michal Ajvaz, Druhé mesto)。〔『もうひとつの街』全訳が2013年に河出書房新社から出た。どちらも同じ訳者、阿部賢一による。〕

 

『時間はだれも待ってくれない』編者の高野史緒がこう書く。

ささいな情景描写を積み重ねるだけで何故これほど独特の雰囲気が出せるのか、この幻想性と生々しい質感はどこからやってくるのか。どこをとっても素晴らしい。今、ヨーロッパ文学の中で最も日本語全訳が待たれる作品なのは間違いないだろう。(96頁)

たとえばビストロでコーヒーを運んできた女性がコーヒーカップをのせた〈洋銀のトレー〉。勘定書きを目にして姿を見せた娘が身にまとった〈カラフルなナイロンのスキーウェア〉。ふつうは意識されないこうした素材が異様な質感をともなう。マテリアルを描写することで逆にイマテリアルな異世界的感覚を意識の底にぽとんと落とす技巧は天才的というほかない。アイヴァスのこの作品の重要性に同意しつつも、全訳が〈最も〉待たれるのはアイルランド語の作品であると思うがいかが。

 

第8章「ポホジェレッツのビストロ」に次のくだりがある。

自分の目がたどる道を厳格に制限しているのだとしたら、それは、私たちの視線が片隅にいる怪物を暗に察しているのを私たち自身が意識しているという証拠にほかならない。見おぼえのある化け物と遭遇し、言葉を交わすことになるのではないか、昔年の親交を思い出し、忘れ去った共通の言葉を思い出すのではないかと、私たちはひそかに恐怖を抱いているおである。(100頁)

この感覚が非常によくわかるという人がいても不思議ではない。アイヴァスがピンとくる読者は多かれ少なかれ、この感覚がわかるのではないか。

 

第9章「鐘楼にて」でビストロの娘が〈私〉に告げる。

私たちの街へ侵入を試みる者は、一旦中に入ってしまうと、そこから二度と脱出はできない。古い壁に走っている裂け目という裂け目あ交錯する網目の中に顔は消えてしまい、風に揺れる灌木の動きのなかに身ぶりは溶解していくはず。(107頁)

 この言葉はアイルランドの妖精譚やトルキーンの「星をのんだかじや」を思い起こさせる。さらに娘はこう続ける。

探し求めているはずの本物の生きている遺産と遭遇する可能性のある唯一の空間を、不安や嫌悪感をおぼえるがゆえに避けてしまっているの。その領域を見下しているがためにね。あなた方の世界の辺境で感じる恐怖はかつての世界に回帰して感じる悦楽の始まりで、境界の森林で消失することは輝かしい再生にほかならないということに気づいていない。(107-108頁)

この〈悪意ある娘〉の言葉は危険への警告が反転し蠱惑のひびきを帯びる。

 

時間はだれも待ってくれない

時間はだれも待ってくれない