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鮨に目覚めるひとりの少年


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岡本かの子「鮨」(『老妓抄』 (新潮文庫、1950)所収)

 

 岡本かの子(1889-1939)の晩年の短編小説。「文藝」(1939)に掲載されたが、執筆は1938年以前と思われる。1938年12月の暮れに脳充血で倒れ翌年2月18日に小石川の東大病院で49歳の生涯を閉じたからだ。

 東京の「福ずし」の客に五十過ぎの紳士、湊がいる。「店ではいつか先生と呼び馴れていた」男だ。店の看板娘ともよは湊の鮨の食べ方が気になっていた。「鮨の食べ方は巧者であるが、強いて通がるところも無かった」のだ。「ともよの父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板や塗盤の上へしきりに布巾をかけ」た。

 湊は鮨を味わう間、じっと謎めいた目を遣る。それを観察していたともよは、湊が「一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった」。ところが、「どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈(ぼか)されて危いような気がした」のだ。

 ある日、湊を虫屋で見かける。ともよは自分の目的である河鹿を買うと、湊を追いかける。湊は「魚の髑髏魚(ゴーストフィッシュ)を買っていた」。

 二人は病院の焼跡の空地に腰を下ろす。ともよは、いつも気になっていた質問を湊にぶつける。「あなた、お鮨、本当にお好きなの」。「さあ」と湊。煮え切らない返事に、ともよは「じゃ何故来て食べるの」とたたみかける。すると、湊はこう答えるのだった。「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」。

 この不思議な答えのあと、湊はなぜ鮨が自分の慰めになるかを話しだす。食事が苦痛だった少年がいかに鮨の味に目覚めたか。息子を何とかしようという母の必死の工夫と、それに応えて食を開いてゆく少年の物語として、きわめておもしろい。鮨をにぎるという行為を通じて一人の人間が海の幸の味覚に開眼してゆくさまが、みずみずしい。