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ミニマリストの宇宙観


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池澤 夏樹『スティル・ライフ』(中公文庫、1991)



 小説として現時点で考えると、前半と後半が別の物語のようにも見える。前半が語り手「ぼく」を中心とする物語、後半が「ぼく」の友人、「佐々井」と名乗る男を中心とする物語。だけど、読み返せば、或いはこの二つはつながるのかもしれない。実際、「ぼく」と「佐々井」とは友人同士だから接点はある。あるどころか、この小説は二人の対話から成るともいえる。

 「ぼく」のほうは、ある意味、常識的な人間だ。ふつうに働いて━━アルバイト中心だけど━━ふつうに暮らしている。数年前、地図で見つけた海辺の土地「雨崎」(あめざき)にガールフレンドと一緒に行って以来、毎年おなじ三月に雨崎に通う。あるとき、一人で行った。地名にもかかわらず雨が降ったことは一度もなかったのに、そのときは雪になった。海岸の高い岩の上に坐りこんで海の方を見ていると、皮膚が次第にゆっくりと雪の温度に近づいてゆく。〈この岩の一部になったら、一日は一秒のように感じられ、一年が一時間のように思われるのだろうか〉と「ぼく」は考える。このあとに、有名な雪の降る描写がある。

雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。


これは、ジョイスの「死者たち」の雪の場面とは別の意味で、しかし同じく、詩的で宇宙的な雪の感覚だ。もう一歩すすめると、天動説が地動説に変わるくらいのコペルニクス的転回が起きるところだが、そうはならない。


 そのような認識の跳躍が起きるのが、「佐々井」が語り出す後半だ。「佐々井」は〈最小限の原則〉で生きており、持ち物が極端に少ない。みずから〈透明人間〉になったと、〈人間関係のネットワークの中に立って、その一つの結び目として機能して、それに見合う報酬を得るということをやめてしまった〉と、語る。社会内存在を消しているかのような男である。彼は始めから二つの視点を持っており、〈心が星に直結していて、そういう遠い世界と目前の狩猟的現実が精神の中で併存していた〉一万年前の人間と同じだという。地球に生きていることを、そのエッセンスのレベルで捉え、そういう自分を高い軌道の上に置いた心の一部で俯瞰する。〔文庫版裏表紙→〕

 ここまできて、小説冒頭の〈大事なのは全体についての真理だ。部分的な真理ならばいつでも手に入る〉という言葉の意味がやっと腑に落ちる。ひょっとすると、円環的な小説なのかもしれない。読み終えたら始めから読み返したくなり、その度に新しい意味が発見されるような。

 迷える「ぼく」と、見つけてしまった「佐々井」。これが「佐々井」しか登場しないと恐らく読者は置いてきぼりにされる。読者の疑問を代弁する「ぼく」がいてくれてよかった。


〔選評〕

 本作品は1987年下半期の芥川賞を受賞している。選考委員十名のうち積極的賛成を表明したのが黒井千次吉行淳之介日野啓三の三名。このうち、本作が影響を受けた『リビング・ゼロ』(1987)を書いた日野啓三の意見は興味深い。〈これまでの文学と新しい世代の文学をつなぐ貴重な作品、と思える〉というのは今ふりかえると卓見だった。具体的には〈旧世代から端正な文章を高く評価されると同時に、二十代の人たちからも、この感受性は親しく読まれる要素をもっている。〉と敷衍している。さらに、〈また日ましに理科っぽくなってゆくわれわれの現実を、旧来の文学はとりこめなくなっている。この断絶にも、池澤氏の作品は橋を架けるものである。〉との指摘も貴重だ。

 賛成か反対か態度不明もまた三名いる。開高健古井由吉、大庭みな子。選評は否定的意見の方が後から考えて参考になることもある。開高健の〈冒頭にたいそう突ッ張った文体の宣言文があり、つづく本文に水と油みたいな効果をあたえている。この部分は私にはまったく余計なものと感じられる。しかし、しいてそれに目をつむるなら久しぶりに作文ではなくて作品を読まされる愉しさがある。〉はどう見てもあまり褒めてはいない。〈一種、童話に近い味である。そううまくいきますかな、という疑問が終始つきまとうけれど、文体の背後にある詩人肌がストーリーを救っている。〉という指摘は池澤夏樹の本質を掬い取っている。古井由吉の〈ひとつの透明な歌として私は読んでその純度に満足させられたが、しかし宇宙からの無限の目は、救いとなる前にまず、往来を歩くことすら困難にさせるものなのではないか。〉には笑わせられた。


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