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池澤夏樹『明るい旅情』(impala e-books, 2014)[電子書籍版]



 紀行文というものの多くがそうであるように、本書は省察的である。

 旅をしながら、過去へさかのぼってゆく。時として自らの。

 その意味で、自伝より自伝らしい。紀行文はそれと意識していない分だけ、自伝にも表れぬ未編集の自分が析出する。

 下手をするとあぶない。偏見と謬見に満ちた人物と誤解されるおそれがある。

 わざと書いているのかもしれないが、ウクレレとギターの区別もつかない。スラックキーギターのことも知らない(ように見える)。ハワイ音楽についてこれでは、いかに現地の音にそって「ハワイイ」と書いたところで、(少なくともハワイ音楽に関して)信用度は下がる。

 聖者伝説に暗いと自ら書く。巨大な十字架が嫌いで、「押しつけがましく、目障りだ」と記す。こういう書き方を敢えてするのは西欧の文脈なら provocative とか polemic とラベルを貼られるだろう(「挑発的」「論争的」)。

 著者のファンであっても、このあたりの書き方には、ユーモアもまぶされていない、執拗な暑苦しさをおぼえる読者もあるだろう。(作家の仕事は押しつけることとしても、それ自身が「押しつけがましい」と感じさせる文体は失敗だろう。)しかし、著者の根っこにこうしたところはあるのかもしれない。

 自らの少年時代についてこう書く。「自分のことを考えてみると、子供時代はタカシ・オカノ〔ハワイで雑貨屋を開いた日本人移民〕のようには、あるいはトム・ソーヤーのようには楽しくなかった。子供のころ以来ぼくにはハックルベリー・フィン的な批評性があって、そういうものは楽園に影を落とすのだ。」批評性とは上品すぎる言葉かもしれない。

 実際、カリブ海のヴァージン・アイランズに関わる、特に奴隷船の記述などは、「明るい旅情」とはほど遠い。ヨーロッパ列強の富を支えた奴隷制に対する批評的な文章は、抑えよう抑えようとしていても、どんなに鈍い読者でもその底に嫌悪の感情を感じ取るだろう。

 そう考えると、ヴァージン・アイランズ紀行の冒頭にある「では、一週間ばかり、名前も魅力的な島で英気を養うのもいいかもしれないとここに来た」という文は目くらましもいいところである。こういってよければ、シニシズムの極致だ。それも自らに向けられた。まったく、作家というのは油断がならない。

 イギリスの海外への進出の歴史についておもしろいことを書く。著者が興味があるのは「冒険家にはじまって軍人と宗教家と経済人にうけつがれた海外進出の気性が最後の段階に至って文学者の手に渡ったという事実」だという。

 現代イギリスの旅行文学を著者に手引きしたのは今は亡き篠田一士氏だった。当時、およそ世界の文学に関心があるほどの人で篠田氏の影響を受けなかった人は殆どいないだろう。「現代世界の文学で読むべきものは全て読破したかと思われる豪傑だった」と、池澤夏樹は書く。現代詩についても実に正確な選択眼を持っていたが、ただし、やむを得ないことだが、現代アイルランド語文学の高峰群については、おそらくその存在すら知らなかったのではないかと思う。この事情は現在でもあまり変わっていない。

 ブルース・チャトウィンという天才的な旅行文学の作家による『ソングライン』の内容には深く唸らされる。オーストラリアのアボリジニにとって「すべての土地は歌の線によって結ばれ、地名はそのまま歌であり、神話であり、そこを歩くことは歌うこと、神話を語ること・聞くこと・伝えることである。」しかも、「歌は地形と呼応している。」まるで、現代コナマーラ(アイルランド西部)文学と中世プロヴァンス文学とが合体したかのようだ。

 著者が世界をどう俯瞰しているかがわかるおもしろい言葉がある。━━「実際の話、ヨーロッパなど地球で最も大きなアジアという大陸の一半島にすぎないではないか。」「東洋とかオリエントとかいう言葉〔は〕要するに小さな西欧から見て東の方という以外に何の意味もない言葉なのだ。」

 クレタ島についての次の言葉━━「クノッソス。ヨーロッパ的なるものすべてのはじまり。世界で最も信頼のおける基準点。」これを読んでクレタに行きたくなった。

〔本書を評者は Yondemill 版で読んだが、多くの電子書店で入手可能。書店の一覧は次のところにある。
http://www.impala.jp/e-books/akaruiryojou.html


池澤夏樹『明るい旅情』(kobo版) 432円