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どんな歴史書にも書いていない常民の生活史


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宮本 常一『女の民俗誌』岩波現代文庫、2001)



 「どんな歴史書にも書いていない常民の生活史」とは民俗学者谷川健一宮本常一の『海をひらいた人びと』を評した言葉である。続けて谷川は〈たとえば釣糸の変化がその漁法全体を変えていく。こうしたことは一見些細なことのように見えるが、政権の交替以上に重要なことであることを、私は理解した〉と書く。

 宮本常一はおもしろい。へたな小説より断然おもしろい。〈小説よりおもしろいと言ってしまっては作家であるぼくは立つ瀬がなくなってしまう〉と池澤夏樹が言うのは誇張でもなんでもないことが、本書を読んでもよくわかる。

 わからないのは、なぜこんなにおもしろいのかということだ。さらにわからないのは、これほどおもしろい本書が絶版なのはなぜかということだ。もっとも本書のうち「ふだん着の婚礼 生活の記録1」〜「戦後の女性 生活の記録12」は日本文学全集14『南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一』で読めるから当分だいじょうぶだろう。

 本書は女性の常民史である。〈宮本常一の膨大な著作のなかから、単行本・著作集に未収録の論考を中心に構成され、貧困と闘い困難な生活を生抜いてきた日本の女性たちの素顔を浮彫りにした〉と表紙裏にある。編集者名は明記されていないがおそらく解説を書いている谷川健一が中心になっておこなったものであろう。

 〈単行本・著作集に未収録の論考〉が中心なので初出情報が重要である。第一部「信仰と伝承」の「女性と信仰」は「近畿民俗」(1937)、「女の伝承」は『日本文化研究3』(1959)〔未来社版著作集第13巻収録〕。

 第二部「女の民俗誌」の「女の位置」は「国民百科」(1965)、「生活の記録1-12」は「婦人百科」(1969-1970)、婚姻と若者組は「民間伝承」(1946)、「里にいる妻」は「学芸手帳」(1957)、「貧女のために」は「農林年金」(1961)〔著作集第12巻収録〕、「女の寿命」は「村」(1953)、「文化の基礎としての平常なるもの」は『農民の生活活動4』(1981)、「島の女性風俗誌」は「被服文化」(1963)〔著作集第3巻収録〕、「宝島の神酒つくり」は「酒」(1956)〔著作集第4巻収録〕。

 第三部「女の物語」の「飛島の女━━地方流しの果てに」は『女性残酷物語1 底辺の女たち』(1968)、「阿蘇の女━━強者どもの夢のあと」は『女性残酷物語2 士族の女たち』(1968)、「母の思い出」は「幼児開発」(1971)、「母の記」は私家版タイプ印刷(1962)。

 どれもおもしろいが、白眉は第三部だろう。「飛島の女」と「阿蘇の女」について谷川健一が解説で〈宮本氏が民俗学者である上に、たぐいまれなストーリー・テラーであったことはこの短篇からうかがわれる〉と書く。母についての二篇は、これは折口信夫の「わが子・我が母」にも感じたことだが、どうして民俗学者が母について書く文章にはこれほど心を揺さぶられるのだろうかと思わせられる。日本の民俗学において父の存在感が希薄というより、父の側面は歴史学などの表側で十分えがかれるのに対し、母の側面があまりにもなおざりにされてきたということかもしれない。