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梨木香歩のイングランド体験


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梨木 香歩『春になったら苺を摘みに』新潮文庫、2006)



 いい話がいっぱい詰まっている。これからも折にふれて読み返すだろう。そのことだけは確信できる。

 アイルランド人のサリーという人がチラッチラッと出てくる。著者がイェーツ好きになったのはこの人のせいらしい(36頁)。ロンドンに反核デモに行ったときも一緒に行った人だ。

 サリーは「ボヴァリー夫人は誰?」の章でもちらりと姿を見せるが、著者にしてはめずらしく(おさえてはいるが)感情がストレートに出ている。事情を考えれば人間として当然すぎる筆致であるが。サリーが隣近所あげての催しに参加できそうにないことを語るところだ。

サリーは数年前から健忘症で、しかも車椅子の生活になっていた。二十年前すでに七十だったのだから無理もないけれど、さすがに数年前、キッチンの窓越しにすっかり老いたサリーを見たときは涙が止まらなかった。彼女はダブリン大学の数学科を出て地元のパブリックスクールで長い間教鞭を執っていたのだが、文学にも造詣が深く、私は英国に来て間もない頃、彼女からシェイクスピアを教わったのだった。彼女がマグカップにいれてくれたミルクティーとビスケットをかじりながら、雨の日は暖炉の脇のテーブルで、晴れた日は庭で。美しい青い水晶のような目を輝かせて打てば響くように機知に富んでいたサリー。(73頁)


 そもそも、著者がイングランドに渡ったのはシュタイナーの教師養成学校に入るため、そしてその準備として英語を勉強するためだった(12頁)。なんでシュタイナーなのだろう。説明がないので、かれこれ長いあいだ、つらつら考えている。ミヒャエル・エンデがシュタイナーの神秘思想に影響を受けたことなどと関係があるのだろうか。もしも、魔術的世界観が関連するとしたら、『裏庭』あたりも関係しそうである。

 湖水地方への紀行を綴る「子ども部屋」の章に面白い文章がある。窓の外の風景にぼんやり見入る場面だ。

カレンダー的な美しさだったらスイスに行けば充分堪能できるだろう。澄んだ明るさだったらカナダや北欧で浸ることができる。だがなんだろう、このもの悲しさ、廃れていくものの美しさ、胸を締めつけてくるような懐かしさ……。それは私の中ではここレイク・ディストリクトから始まり、スコットランドに渡り、そしてアイルランドで決定的になる何かだった。(95頁)


ここに挙げられた地名のうち、最後のアイルランドには著者は行ったのだろうか。その「何か」のことを著者はどうやって知ったのだろう。文学か、美術か、音楽か、それとも(サリーのような)人との関わりの中で知り得たことか。

 などと考えていると、さらに追い討ちをかけるような文章が同じ章の最後のほうに出てくる。山頂の小さな湖(イーズデイル・ターン Easedale Tarn 〔湖水地方真ん中にある山中の湖〕)に到着した場面だ。

この荒涼とした風景の中を流れる風は、私の中ではそのまま海峡を渡ってアイルランドにまで吹いている。それはもう精神的原風景と言っていい。(116頁)


またもやアイルランドだ。訳が分からない。前後に手がかりがない。ことによると、章題の子ども部屋に関係しているのかもしれないけれど、その子ども部屋とアイルランドとの関連がさっぱり不明だ。ともかく、著者の中でレイク・ディストリクトからアイルランドにまで吹く風が厳然とあり、それが精神史の原点となっている。その二地点をつなぐヴェクトルは児童文学を指すのかもしれない。

  この本にはあと二回アイルランドが出てくる。ひとつは著者が「今はまだ多少若くて、適応力も少しはあるから無理もできるが、もっと年を取ってきて耐性がなくなったら、本当に世捨て人の生活をするかもしれない、そのときのために今のうちからどこか荒野のコテージを手に入れたりしておいた方がいいかもしれない」と語ったときのウェスト夫人(著者が英国で長年世話になっている婦人で、本書の主なトピックはすべて彼女に関わる)の「あなたはいつか一緒に行った、アイルランドの海に面した崖っぷちに建っていたあの小屋を考えているんでしょう」という返事(174頁)。

 もうひとつは「不思議なことだが、動物でも人種の違いはわかるようなのだ」と書いているところの実例として言及される。「都会ではまったく注意は払われないがスコットランドアイルランドの田舎などに行くとそれこそまじまじと見つめられる」と書く(196-197頁)。してみると、著者はアイルランドに行ったことはあるのだ。

 本書ではイングランドのほかにカナダ(プリンスエドワード島トロント)とアメリカ(ニューヨーク)のことも出てくるが、不思議なことにそれらの章では、現代社会や現代史の諸問題についての辛口のコメントが見られ、読者によってこうした部分は意見がわかれるだろう。