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デンマークのフェミクリミの旗手によるミステリ・シリーズ第一作


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エルスベツ・イーホルム、木村 由利子 訳『赤ん坊は川を流れる』創元推理文庫、2015)



 1990年代以降、「女性の日常生活に事件をからめた」ミステリ作品が北欧で増えており、このサブジャンルを「フェミクリミ」(femikrimi)と称する。これの定義については諸説あり、そのうちのアナスン(Frank Egholm Andersen)説が訳者あとがきで紹介されているが、簡単に言えば「基本的に女性作家が書く、女性が主人公のミステリ」ということになるだろう。

 そのジャンルの旗手であるイーホルム(Elsebeth Egholm)のディクテ・シリーズの第一作(2002)が本書だ。2014年現在で九作目まで出ている。原題が Skjulte Fejl og Mangler (隠された欠陥と欠乏)。

 主人公である記者ディクテ・スヴェンスンの目の前のオーフス川を赤ん坊の死体が流れてくる。第一発見者ディクテにコペンハーゲン本社の編集局長が取材を命ずる。以下、短い文できびきび進む。これがデンマークの現代ミステリのリズムか。

 たまたま、目撃したときは、ディクテは四十の誕生日を祝ってくれる友人二人といっしょだった。その彼女らにも取材に赴くことになる。

 助産婦のアネ・ラーセンは赤ん坊が産まれて二十四時間内に川に流されたと告げる。現代のデンマークで誰がこんな子供の棄て方をと嘆く。

 妊婦のイーダ・マリーは旅行代理店をやっている。現場を写真に収めていた。カメラを借りたいとディクテが言うと、「あの赤ちゃんの?」と嫌悪感を浮かべる。赤ちゃんの写真は出さないと約束して借出す。三十九歳初産の彼女には最悪の事件だった。

 支社に戻ってディクテはフィルムの現像を待つ間考える。「何より彼女はニュースが嫌いだ。書くのはもっと嫌いだ。」と(29頁)。記者とは思えぬ。

 この親友三人組の仕事と私生活とが丹念に描かれ、彼女らの人生の奥行きが掘下げられるとともに、謎のほうも奇怪な展開を見せつつ深まってゆく。もちろん、刑事などの男性も登場はするが、視点は圧倒的に女性のほうが優位だ。

 全体としては、ミステリの要素よりも、彼女たちの女性としての生き方、考え方、体験などのほうに重点が置かれており、女性読者が同時代の物語として頷きながら読める文学だろう。しかし、男性が読んでも、その謎を含めた現代的アングル(9・11以後の西欧社会の危機、ムスリム移民がはらむ緊張、そうした社会での男女の役割など)の鋭さは興味深い。続篇が楽しみだ。