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政治漫画をとおして政治認識と政治分析にひとつの視点をつけ加える


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茨木正治『「政治漫画」の政治分析』(芦書房、1997)



 風刺漫画についての本は驚くほど少ない。本書によれば、政治を風刺したり批判する「政治漫画」の研究が始まったのはたかだか1970年代だという。しかし、その時点で既に衰退していると看做されていた。

 なぜか。第一に、政治漫画の「文法」がいまだに発見されていない。漫画のもつ評論的側面と娯楽的側面とを包括する文法が見つかっていない。

 第二に、政治漫画が自らの立ち位置を見つけられずにいる。TVやネットもあり、価値観も多様な現代社会では、情報の受け手をどこに設定するかに苦悩し、新聞内の政治漫画の役割が曖昧になっている。

 確かに政治漫画受難の時代に見える。しかし、本書は政治漫画の持つ意義は現代において高まっていると主張する。政治漫画の政治学的な認識形成の手段としての役割を検証し、政治シンボルの描き方を通して政治分析の手法としての文法を発見しようとする。

 1997年の本であるため、扱われているのが1990年代の「佐川急便事件」や「金丸巨額脱税事件」までだ。そのころ新聞の政治面を熱心に読んでいた人なら、ここに挙げられた針すなお小島功の漫画を見て、一発で当時の雰囲気が思い出せるほどのインパクトはあるのだが、いかんせん、今から見ると話題として古い。

 しかし、賛否両論があるにせよ、風刺漫画が現代社会において重要な意義やインパクトを持ちうることは、フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」が、イスラームの預言者ムハンマドに対する風刺画を掲載したことから、2015年に巻起こした事件を見るまでもなく、明らかだ。そもそも、ヨーロッパにおける最初の政治漫画は、16世紀の宗教改革時の教皇に対するものだったとされる。宗教がらみだと風刺は人心を沸騰させるほどの力がある。

 現代の視点で、現代の状況をふまえた研究が待たれる。本書の最後の章で、政治漫画の将来を考えるための視座がいくつか挙げられている。中でも、政治漫画の国際比較や「笑い」の質の変化(権力者に向けられた笑いだけでなく、自らを嗤うことや、観客を嗤うことなど)といった視点は有効だろう。