ケルトに関する幅広い論集
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『ケルト―伝統と民俗の想像力』(中央大学人文科学研究所、1991)
中央大学出版部から「ケルト」を冠した研究書が現在までに6冊出ている。
本書はその中でも最も初期に属する1991年の刊行で、タイトルに「伝統と民俗の想像力」とあるところから想像されるよりはかなり幅広いテーマを扱っている。
本書に収められた論文は次の12篇。
- 月川和男「ドルイドとギリシア・ローマ世界」
- 盛節子「アイルランドのキリスト教受容」
- 松村賢一「冒険と航海の物語」
- 鶴岡真弓「ケルト美術の装飾性」
- 植田兼義「ケルトと北欧の関係について」
- 田陽一郎「ヨハネス・スコートゥス・エリウゲナの思想」
- 小菅奎申「オシアンと『穏健派』」
- 東浦義雄「スコットランドの魔女妄信」
- 菊池正邦「音の風景」
- ジェームズ・E・マッケルウェイン「アイルランド語」
- 行吉邦輔「詩的想像力と民俗劇」
- 野崎守英「アラン島の世界」
歴史、宗教、文学、美術、哲学、民俗、音楽、言語等々に渡る分野が扱われ、ケルトについてのさまざまの角度からの関心に応え得るだろう。中には鬼籍に入られた研究者もおられ、貴重な研究成果が収められている。
序文として松村賢一「二輪戦車と笏杖と幻」が置かれており、これも興味深い。物語を素材にアイルランドのケルト社会について略述したものだ。
中世の手稿で最古のものが12世紀の『灰褐色の雄牛の書』 Lebor na hUidre だ。詩や物語、歴史や宗教などの多様な資料が収められている。
(この種の)歴史文書は今日の観方からすれば擬似的歴史文書とでも称されるもので、古代にアイルランドに侵攻した民族が実在するかのように記され、そこに異教の神々や超自然的存在も現れる。まるでギリシア神話だ。アイルランドの歴史を書く際にこのあたりのことを書くのは難しい。
初期のケルトの神々についてはあまりはっきりしないし、ケルトの民がどのような宗教や礼拝の形式を持っていたのかもほとんど分っていない。
しかし、それなら、どうして、キーティングはあのアイルランド史が書けたのであろうとか、エリスはドルイドについてなぜ、あれほど確信をもって書けたのであろう、などの疑問が湧いてくる。これらの疑問はおそらく解けないだろう。
にもかかわらず、残存する古代アイルランド文学を上記の書などから拾い上げ、確かな根拠を求めつつ、ある場合には想像力の助けを借りて、さまざまな試みがなされる。
擬似的な歴史を意図せず、はじめから物語として書かれたものがたくさんある。アイルランドのはるかな過去の英雄時代(5世紀以前)を描こうとした一連の散文による物語だ。総称してアルスター説話団(Ulster Cycle)という。中で最も有名なのが、稀有な雄牛をめぐるアルスター(アイルランド北部)とコナハト(アイルランド西部)の争いをえがく『クーリーの牛争い』Táin Bó Cúailnge で、ふつうは『トイン』とか『トーィン』という。この物語は漫画にされるほどポピュラーだ。もう一つ挙げるなら、悲劇の女性デルドラ(デアドラ)をえがく『ウシュリューの息子たちの追放』Longas mac nUislenn がある。
これらの叙事文学の背景にあるのはアルスターと他のアイルランド王国との争いや社会構造、および文化や生活全般である。
こういう物語からでも、ケルトの社会について「おぼろげにもかなりのことが分か」るというのが、松村論文の主旨だ。そう考えれば、アイルランドの初期の歴史について、いわゆる歴史文書の乏しいことをいたずらに悲観することもなくなる。