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眼前の霧が開けるような訳文と註釈


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佐藤 研訳『マルコによる福音書 マタイによる福音書 新約聖書 I』岩波書店、1995)



 岩波訳聖書の新約聖書の第一分冊。訳者名を明示した個人訳、特定の教派の信仰理解を前提としない、学問的精確さへの意志を基盤とする、等々の特徴を有する。

 最も顕著な特徴は、しばしば挑戦的な脚注である。それは「訳者が独自の、あるいはある特定の翻訳を採用するとき、その根拠を示すものである。また、従来の翻訳との批判的対話の空間でもある。」(x 頁) その通り、目を開かされる空間であることは多く、刺激的である。疑問をもつ箇所がないではないが、全体としては画期的業績である。

 一箇所だけ例を引こう。マルコ9章50節<あなたたちは、自分の中に塩を持ち、お互いに平和をなすがよい>とのイエズスの弟子たちに対する言葉について、本書の脚注はこう書く。

塩(この際は岩塩)は、調味料であり、かつ食品保存材。しかし同時に、友情と契約の徴でもあった(民18.19、レビ2.13、代下13.5参照)。すなわち、互いに共同で塩を食することにより、パートナー間の契約関係が成立した。50節末尾の発言は、この事態を背景に持つ。(47頁)


一読、目の前が開けるような訳文であり、註釈である。

 新約聖書のギリシア語原典を真摯に研究する人が、参考になる日本語訳が必要な場合、本書は大いに助けになるだろう。ただし、従来の日本語訳で満足し、安定した信仰生活を送る人には刺激が強過ぎる可能性がないではない。