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するどくディキンスンにせまる訳詩集


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エミリー・エリザベス・ディキンスン、中林孝雄訳『エミリ・ディキンスン詩集』(松柏社、1986)



 中林孝雄はディキンスン詩を訳すにあたっての経緯(いきさつ)をこう書く。「気がついてみると、シェイクスピアやダンの恋愛詩にない、やや洗練さを欠いて素朴な感じはするが、鋭さを秘めた、豊かな、新しい詩的世界の展開にすっかり魅了」されたと(270頁)。

 この鋭さは多くのディキンスン読者が感じていることであるが、それを日本語の訳詩とするのは至難のわざである。ところが、中林孝雄訳は、ときどき、その鋭さを日本語の詩として感じさせることに成功している。その点で稀有かつ貴重な訳詩集である。

 中林孝雄の専門がジョイスやイェーツであること、つまり、ディキンスンの専門でないことが幸いしたのかもしれない。専門家ならここまで大胆な訳はできないであろうと思われるからである。(ジョイスはアイルランドの小説家、イェーツはアイルランドの詩人。いづれも20世紀に活躍。ディキンスンは19世紀の米国の女流詩人。文学史上、それぞれ、巨大な存在であり、専門領域としてはかなり違う。)

 具体例をひとつ。「私は死ぬとき━━ハエがうなるのが聞こえた━━」(ジョンスン番号465)という詩がある。自分の死を回顧して書くようなスタイルの詩がディキンスンには数篇あるが、そのうちでも変わった詩である。その第1連がこう訳される。

私は死ぬとき━━ハエがうなるのが聞こえた━━
部屋の中の静けさは
嵐が烈しくなる前の━━
空の静けさに似ていた━━


一読して、よくわかる。情景が目に浮かぶ。が、こんな訳は専門家はまずできない。なぜなら、ふつうは3行目は「嵐のたかまりの間の」(新倉俊一訳)などとなるからである。

 だけど、中林孝雄の心の中にはおそらく<嵐の前の静けさ>といった情景が浮かんだ。それを心に保持したまま、可能なかぎり原詩に近づけてこう訳したのであろう。原詩の第3行が '[the Stillness in the Air--] Between the Heaves of Storm--' であるにもかかわらず。原詩の表現が、「嵐の前の静けさ」'the hush before the storm' のような表現の変奏であるとの確信に基づいた変化球である。結果、日本語の読者にとっては幸いな訳が生まれた。