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対訳形式でイェーツの詩54篇を収録


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イェイツ、高松 雄一訳 『対訳 イェイツ詩集』(岩波文庫、2009)



 2009年刊行のイェーツ訳詩集。W・B・イェーツ(1865-1939)の初期から晩年にいたる詩的経歴を代表する54篇を選んで、左頁に原詩、右頁に日本語訳、それに固有名詞等にかかわる脚注を載せた本。語学的註釈は殆どない。

 本書の特徴のひとつは底本に1952年版の The Collected Poems of W. B. Yeats, second edition (Macmillan) を用いていることだ。中林孝雄訳の『イェイツ詩集』(松柏社、1996)が1984年版のリチャード・J・フィネラン編の The Poems A New Edition (Macmillan) を用いているのとは対照的だ。

 イェーツ詩集として用いられるものには、ほかにノーマン・ジェファーズ編の Poems of W. B. Yeats A New Selection (1984)がある。中林訳の本で最後に収められている「報復」('Reprisals')という、ある意味で重要な詩(1921)がジェファーズ版で読める。

 私はダニエル・オールブライト編の W. B. Yeats The Poems (Dent, 1990) で読むことも多いがこれには「報復」が巻末の註に収められている。

「報復」という詩はグレゴリー夫人のひとり息子であるロバート・グレゴリー少佐が「亡くなられる前/独軍機を約十九機撃墜した」と詠い始め、「イタリアの墓穴から甦りなさい」と詠う。グレゴリー少佐に関するほかの有名な詩と比べて「明らかに出来映えは見劣りする」と中林孝雄は述べるが、はたしてそうだろうか。

 そして、本書にも「報復」は収められていない。ことほどさように、底本に何を用いるかによりどの詩が読めるかということが、当然ながら変わってくる。

 本書にはグレゴリー少佐に関する有名な詩の一篇「アイルランドの飛行士は死を予知する」('An Irish Airman Foresees his Death')が収められている。「アイルランドの飛行士」というのがロバート・グレゴリー少佐。第一次大戦に参加。戦闘機乗りとして北イタリア戦線で戦死する。

 3-4行目で「私は戦う相手を憎んではいない。/守る者たちを愛してはいない。」('Those that I fight I do not hate / Those that I guard I do not love;')と詠う。4行目にやや不思議な感じを受けるが、こういう箇所に本当は註釈が必要だ。オールブライト版によれば、この「守る者たち」とはイギリス人のことである。グレゴリー少佐はイギリス軍の一員として戦っていたからだ。そこまで知って、ああ、なるほどと分かる。

 この詩の頂点に来るのが11行目。「孤独な歓喜の衝動が/この雲の騒乱に私を駆り立てた。」('A lonely impulse of delight / Drove to this tumult in the clouds;')と詠う11-12行目の「孤独な歓喜の衝動」の部分だ。ここは解釈の出番である。なお、高松訳は原文にない「私を」を補っている。

 オールブライト版によると、グレゴリー少佐の声で語る詩人は、ここであらゆる公的な目的を拒み、〔'In Memory of Major Robert Gregory' 第11連で描かれた〕自己の燃焼の瞬間('the moment of self-combustion')を求める。イェーツが後に「悲劇的歓び」(tragic joy)と呼ぶことになる、自己放棄の極致と自己完成の極致との結合により生まれる感情の、初期の例がこの11行目に見られる。そう思って読むと、一連のグレゴリー少佐関連の詩を読み直したくなる。

自己の燃焼」は、初期のイェーツの精神原理の一つ、Aedh が体現する「自ら燃える火」(fire burning by itself)、すなわち、聖誕の場面に喩えると、「想像力が、愛する全てのものの前に絶えず捧げる没薬と乳香と」(the myrrh and frankincense that the imagination offers continually before all that it loves)を連想させる。


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