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バランスのとれたディキンスン訳詩集


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エミリー ディキンスン『ディキンスン詩集』(思潮社 海外詩文庫、1993)



 複数の訳者によるディキンスン詩の日本語訳を編纂した本。くわえて、詩人論が二本、編者による解説と年譜、ジョンスン番号による索引が附いている。160ページの本ながら、内容に目配りが行届いた恰好のディキンスン詩集である。

 ディキンスン(原詩)を読んでいると、ときに、おお、これは、という詩にぶつかることがある。アメリカ文学史上、最も偉大なリアリストとも評されるほどの詩人だから、そこらじゅうに宝があってもおかしくはないのだが、なにしろ数が多い。1775篇もあるので、何冊、研究書を読んでも、まだ知られざる面というのは出てくる。(シェークスピアがいまだに山のように研究書が出ても、まだ分からない面がどんどん出てくるのに似る。)

 ところが、そういうのにかぎって、日本語訳がない。理由は簡単で、難しいのである。

 本書は、そういう、これまで未踏の領域にも果敢に踏込んでいる点で、価値がある。

 たとえば、1862年頃に書かれたとされる321番の詩('Of all the Sounds despatched abroad')。これは、ディキンスンの詩人としてのオルペウス性を解き明かす重要な詩とされる。眠れる世を目醒めさせるような詩のことについて詠う詩である。つまり、詩についての詩である。これが本書では訳されている。知る限りでは、他の本では訳されていない。だから、価値がある。ディキンスンは、そういう詩のことを、風が織りなす曲に喩えている。第一連のみ、本書の新倉俊一訳を引く。

そとに発信される音のうちで
あの梢のなつかしい調べほど
強烈な力はありません
あの言葉のないメロディー
風が手のように動いて
その指が空を梳きます
それから神々とわたしだけに許された
房のような曲を震わせてよこします


この「房のような曲」は、常人には、おそらく聞こえない(「神々とわたしだけに許された」)。それだけでなく、この詩の韻律は、風の隊列が、「縫い目のない一隊」として奏でる。つまり、この天才は、常人には感じ取れぬ音と意味とを、「縫い目のない」韻律でもって詩に作りあげるのである。まことに、驚くべき詩行である。