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『星の王子さま』からベールが三枚はとれた新訳


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サン・テグジュペリ、管 啓次郎訳『星の王子さま』(角川文庫、2011)〔下の書影は Kindle 版〕



 初めてこの物語にじかに触れた気がする。

 何度もいろんな形でこの物語に触れてきたのだけど、こんな物語だったとは知らなかった。

 たぶん、本訳の日本語があまりにもすばらしいからだろう。別宮貞徳が説く、翻訳者にまず求められる日本語能力の重要性を、本訳ほど実感させてくれるものはない。

 裏返せば、それだけ原文の理解が深いということだ。でなければ、こんな日本語は書けやしない。

 管啓次郎という現代日本の最高の日本語の書き手とこの作品との幸福な出会いだ。

 本書が名作といわれるわけが、初めてわかった気がする。

 王子の短い人生で一本の花との関係がこれほど重要だったこと、きつねとの会話がこれほど深い意味を秘めていたこと、「ぼく」にとって、どれほど王子の笑い声が大切なものだったかということ。これらすべての大切なことは「心で見なければ、よく見えないっていうこと」。

 人生を砂漠のように感じ、そこにひとりで放り出され、泉を探し、ともだちを求める、そんな境遇のひとは世界にゴマンといる。路上生活を送る、移民のストリート・キッドはまさにそうだ。訳者はそんなふうに考えた。ルクレジオの『モンド』の主人公をここに重ね合わせた。

 抱きしめたくなるくらいの本だ。

 訳者あとがき(東日本大震災の四十日後に書かれた)からすこし引用して終えることにする。

こどもはおとなの現実世界とはちがう、真実の世界に住んでいる。社会生活が強いるばかげた型とは離れた場所にいて、大切なものを見抜く力をもち、ひたむきにそれに向かってゆく。すべてが奪われた危機的な状況で、砂漠の中の孤独というゼロ地点に置かれたとき、「ぼく」を支えることになったのは、いわばそんな「こども時代そのもの」がもつ強さ、その強さの思い出、その強さをふたたび取り戻そうとする決意でした。


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