火星の恋。東浩紀の小説はプランBを用意しない主人公を語る
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知的にコントロールされた叙情的な文体で読みやすい。SFとしても、恋愛小説としても。
見所は「渾身の恋愛小説」につきる。全身全霊で愛する十六歳の少女のことを語る。ひたすら。大島麻理沙の名はMarsの化身を想わせる。夢幻詩(アシュリング)に現われるカチリーン・ニウァラホーィンがアイルランドの化身であるように。絶世の美女はこうでなくてはいけない。大槻香奈による決定的な装幀画がなければ、メーテル(松本零士『1000年女王』)を想い起こすほどだ。
2445年の火星でそんな恋愛が可能なのかとの疑念は、読めばかき消える。『フラクタル』小説版刊行を今や遅しと待ち焦がれるファンの渇をいやすに充分な作品だ。でも、『フラクタル』、本当に待ち遠しいけれど。
著者の文体は詩的叙情性に富む。
わたしのなかでは三重の自己修復プログラムが働いている。脳計算機科学の諸公理に基づき、あらゆる矛盾、あらゆる循環、あらゆる不完全性が潰されている。
(第二部「オールトの天使」7)
これは麻理沙(のいわば分身)の独白だが、このような表現は、人によっては違和感を覚えるかもしれない。が、合う人にとっては、<矛盾−循環−不完全性>の音の連環は快感をうむだろう。三句の中にaabbのライム・スキームが織込まれている。
作家ならだれでもこんな小説を書いてみたいと思うにちがいない。ブラッドベリならおそらく、いやもしかしたら、プルーストはこんな小説が書けるだろう。でも、翻訳だったらここまでぴったりした日本語は書けない。それこそが、身をしめつけるような切なさを生み出す作者の胸の奥なる声だ。
「エージェントモジュールの一部が自己組織化を始め、管理者権限を奪っている」のような文章に、生身の人間に関するのと同じほどに感動を覚える人にはお薦め。そうでない人にはイマイチかもしれない。