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1847年のアイルランドの大飢饉を浮き彫りにした歴史小説


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Joseph O'Connor, Star of the Sea (2003)



 書き手は、書くときにどの程度、読み手のことを考えるのだろう。オコナの場合は。多数の視点人物を配し、移民船の26日間の航海を通じて多角的に1847年のアイルランドの大飢饉を浮き彫りにした歴史小説『海の星』において。

 その問題もあるが、最大の問題は、作者オコナ自身がどの観点に立つかだ。多くの観点のうちのいったいどこに。

 小説の語り手は主としてチョクトー族の血が混じるユダヤ人新聞記者ディクスンだ。他に、クェーカ教徒の船長ロクウドの日誌風の記述がある。主な登場人物の一人は、地主の貴族メリディスだ。メリディスの召使いドゥエーンは、コナマーラのカールナ出身者。最大の問題人物マルヴィは生存のためならどんな嘘もつき肉親でさえ見殺しにする上手な詐欺師。ディクスンはこの三人に対し、どういう距離をとるのか。何よりも、ディクスンの人生観、世界観に表れた、世界を斜めに見る知識人的批評眼は読者をどこへ導くのか。いったい、ディクスンはどんな読者を相手にしているのだろうか。イングランドの雑誌でアイルランド人を猿のように描くのは、畢竟、敵に自画像を見て恐れているのだとは、いかにもディクスンの言いそうなことだ。

 小説は船上のある出来事からほぼ70年後に書かれた回想記の形をとる。エピローグの日付は1916年の復活祭の土曜日だ。約70年前に、いったいどうしてその事が起きたのか。ディクスンはこの約70年間、一日たりとて自問しなかった日はない。

 と書くことで、初めて著者オコナの視点がほの見えてくる。ディクスンの自問する姿をえがくことで、1847年のアイルランドを取巻く状況を、今一度、現代人に問いかけるための作品を著者は提供しているのだ。そのねらいは150%成功している。濃厚な人間ドラマをえがいた作品として完璧であるだけでなく、読者に思考の糧を提供するという意味において。アイルランド現代小説の金字塔ともいうべき作品だ。アイルランドを愛するすべての人におすすめしたい。

 文体について一言。基本的には現代英語。ときどきアイルランド英語。たまにアイルランド語ラテン語。船長の日誌は19世紀中庸の英語を模し、語彙も古めかしい。

 Kindle 版について一言。ハイフンにする必要のないところまでハイフンが残るのは、紙冊体から電子版へ移すときの手抜き。結構多いので改めてほしい。

 日本では恐らく知られていない作家なので一言。作者ジョーゼフ・オコナ(Joseph O'Connor)はダブリン生れのアイルランドの小説家。2002年の本作 Star of the Sea が最も有名。2011年に会員数が250に限定されている Aosdána に選ばれた。

 本作のエピローグについて。いわば衝撃の告白が含まれていると思われる。ディクスンの人種についての考え方(*)がベースにあり、「黒人」の(聖書的)起源の問題がからむ。ただし、ディクスンがこれを書いたとされる1916年の復活祭の土曜日(あの復活祭蜂起の2日前)の当時の人種観を反映した書き方という設定であることは忘れてはいけない。

(*)エピローグの最後は「さかのぼってカインに至るまで」('All the way back to Cain.')と書かれている。これは、ハム(ノアの息子)がカインの末裔であるとする考え方(モルモン教徒のそれが有名)に恐らく関連する。ハムは黒人種の祖先だ。ディクスンはエピローグの中で、自分が人種的には「黒人」(negritude)に属すると役所から分類されたことを記している。つまり、弟を殺した「カインの呪い」を継承しているとの自覚を持っている。