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翡翠の輝き――ニューヨークの敏腕探偵リディア&ビルの珍しい短篇と、美術品専門探偵ジャックの登場


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S・J・ローザン『永久に刻まれて (リディア&ビル短編集)』(創元推理文庫、2013)



 余白に語らせるタイプだ。いや、余韻に語らせるというべきか。

 ローザンの短篇を集めた本だが、どれにもニューヨークの空気感が鮮やかに漂う。ことに、音が聞こえてきそうな文体だ。

 白人のビル・スミスとシナ人のリディア・チンの私立探偵コンビがさまざまな事件解決にあたる。(*) 拳銃の腕は二人ともすこぶるいい。二人の微妙な関係を読取るのも愉しい。 (* 「私立探偵」には「P・I」のルビ。private investigator のこと。)

 さらに、文章にスピード感がある。いかにもニューヨークを思わせる。翻訳もできるだけそれを活かそうとしているのが感じられる。(雑誌掲載の珍しい短篇も入っているので、残念ながら原文は見ていない。)簡にして要を尽くす文のため、一篇は40頁ほどの長さながら、描かれる世界は豊かで味わい深い。作者(本名 Shira Judith Rosan)はユダヤ系だ(自分の事を 'nice Jewish girl growing up in the Bronx' と描写する)。なのに、どうしてこんなにチャイナタウンのことがくわしいのか。そこにこそ、この作家の魅力の一端が隠されている。


「永久に刻まれて」 (Once Burned, 1991)

 いやな地上げ屋とたたかう話。地域再開発のため、つぎつぎに買上げられている中で残ったデイリーズ。「ピアニストなら誰だって、デイリーズで演奏したがる」(17頁)といわれるほどの店だ。

 売れとしつこく迫るジョージ・トラカスはギリシア人脈を生かして執拗な攻撃をしかけ、店に焼きうちまでかけてくる。店主ミック・デイリーの自慢のピアノまで焦げてしまう。

 なんとかして店を救おうと奮闘するビルとリディアの二人。その決死の戦いのゆくえは。


「千客万来の店」 (Prosperity Restaurant, 1991)

 「永久に刻まれて」の事件の半年後の話。弁護士からの依頼でシナ人不法入国者ウェン兄弟(福建省出身)のゆくえを追跡するリディア。

 リディアはチャイナタウンにあるプロスペリティ・レストランに向かう。エビのコショウ炒めが絶品のその店は、ジミー・タンがオーナー。親戚でもないのにウェン兄弟の移住費用を出した謎の人物。

 行ってみると、ウェイターは誰もが福建訛りの英語を話している。店を出て、兄弟の兄のほう、リーハン・ウェンが住んでいたアパートを訪ねても、誰もが福建訛り。調査の糸口がつかめそうで、なかなかつかめない。はたして兄弟は見つかるのか。

 この作品で「アジア系ギャング特捜班」の語に「ジェイド・スクワッド」とルビ。ニューヨーク市警察がアジア人の犯罪組織を摘発するためのアジア系アメリカ人で構成された特別捜査班(Jade Squad)。ジェイドは翡翠。アメリカ人にはすぐにシナを連想させるのだろう。

 それから「移民局」に「INS」のルビ。移民や帰化に関する法を施行する司法省の部局(Immigration and Naturalization Service)。

 80頁に出てくる車の経路描写「車はBQE、ロングアイランド・エクスプレスウェイを通って〔後略〕」はそのまま読者に分かれというほうが無理だろう。ブルックリン・クィーンズ・エクスプレスウェイのこと(Brooklyn-Queens Expressway)。

 この傑作短篇の訳文はもうちょっと親切にしてほしかったし、地理が密接に関係するので、ニューヨークの地図を附けてもらってもよかった。


「かけがえのない存在」 (Shots, 2006)

 NBA のスター選手殺人事件をえがく傑作。もし、ニューヨーク・ニックスのファンならたぶん忘れがたい作品と呼ぶだろう。プロ・バスケットボールに関心がなければ、あるいは敷居が高いかもしれない。

 ニックスに新たに加入した強力な助っ人デイモン・ロウムが殺された。犯人としてロウムのボディーガードが疑われる。ビルはそのボディーガードの弁護士から他に犯人がいる可能性がないか調べるよう依頼される。

 バスケットボールは5人でティームを編成するが、明確に役割が分かれている。殺されたデイモンはフォワードで、デイモン加入までニックスを引っ張ってきたナサニエル・デイはセンターである、等々。そういう観点になじみがない場合には、登場するさまざまの選手の個性の違いが分りにくいかもしれない。さらにヘッドコーチや代理人など、周辺のいろんな人物も登場する。ビルはそうした人々に一人一人事情を訊いてゆく。

 翻訳はバスケットボールの技術的な側面についての説明が割注で附いており、丁寧なものだが、ゲームの組立てにかかわる基本的な説明がないのはしようがない。ところが、その基本性格がまさに事件を解く鍵になっているので、分かる人にはこたえられない面白さになっている。


 その他、クルーズ船で姿を消した娘を探すリディアをえがく「舟を刻む」Marking the Boat, 2000)、メイン州で保安官をしている旧友の依頼で子供の溺死事件を捜査するビルをえがく「少年の日」Childhood, 2000)、リディアの母親が知人の孫の誘拐事件にみずから乗り出す「チン・ヨンユン乗り出す」Chin Yong-Yung Takes a Case, 2010)、ジャック・リー(美術品専門探偵)が知人の美術館長がつかまされた偽物の調査をする「春の月見」Seeing the Moon, 2009)が収められている。

 「春の月見」にはビルもリディアも登場しないが、リディアが語り手の次回作シリーズ Ghost Hero (2011)でこのジャック・リーが活躍する。19世紀文人とアヘンという興味深い分野がかかわり、さすがにこの著者だと思わせる。美術品鑑定物として大変おもしろく、新シリーズは期待できる。

 アジア人特別捜査班の名前に翡翠が出てきたが、最後の短篇にも、翡翠がからむ。どうからむかは読んでのお楽しみ。