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ヒーニ訳の『真夜中の法廷』


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Seamus Heaney, The Midnight Verdict: Translations from the Irish of Brian Merriman (C.1745-1805) and from the "Metamorphoses" of Ovid (2001; Gallery Books, 2014) [Kindle版]



 アイルランドノーベル賞詩人シェーマス・ヒーニが訳したブリーアン・メリマンの『真夜中の法廷』 Cúirt an Mheán Oíche。抄訳であり、しかも、前後をオウィディウスの『変身物語』 Metamorphoses のオルペウスとエウリュディケのエピソード(第10巻と第11巻)で挿むという変わった形をとっている。全体では42ページほど。

 この3篇の詩をひとつとして捉えることもできるし、それぞれ別箇に扱うこともできる。ここでは『真夜中の法廷』のみについて書く。

 18世紀後半に書かれたこのアイルランド語の詩は、強勢詩の白眉として、アイルランド語詩史に燦然と輝く金字塔であり、アイルランドの小学生なら誰でも冒頭の20行くらいは暗誦しているというほど有名な作品だ。ただ、内容は教会批判(若い女性の結婚相手の不足を聖職者の独身制廃止により実現せよと迫る)を含むため、英訳書は発禁になったこともある(アイルランド語の原書は発禁になったことはないはず)。題名は、アイルランドの男性を女性の立場から裁く、妖精女王による法廷の意味。

 この詩は1行あたりの4つの強勢のうち、真ん中の2つが母音韻を成し、最後の1つが脚韻を成すという詩形で書かれている。詩の冒頭の箇所でヒーニがその詩形を意識して訳しているのは第9行のみだ。この冒頭部では、詩人がグレーネ湖(アイルランド南部)のほとりを散歩しているところが描かれ、美しい自然の景色を見て倦み疲れた心が癒されると綴られる。

 原詩をまず見る。

Do ghealfadh an croí bheadh críon le cianta


「歳月とともに萎えた(私の)心は昂揚した」くらいの意味だが、これをヒーニはつぎのように訳す。

My withered heart would start to quicken


以上の引用で太字にした部分が母音韻を成す。

 原文に「私の」とは書いてないけれど、ヒーニのように「私の心」と訳すほうがくっきりする。ヒーニの択んだ 'heart' と 'start' の母音韻の組合せは残念ながら原詩におけるようには次の行に続いていかないけれど、脚韻のひびきは第10行末の 'hardbitten' に引継がれ、このあたりが英語で詩を書く場合の限界だろうけれど、がんばっている。

 2014年の日本語訳『真夜中の法廷』(彩流社刊)が9-10行を原文通り「歳月を重ね老いた心/力が尽き苦痛に満ちた心が輝いた」と訳すのと比較すると興味深い。

 ヒーニは全体として弱強四歩格の対句の詩形で書いており、2行単位の韻律をひびかせている。メリマンの原詩のように、数行にわたって、水平方向、垂直方向に縦横にひびきわたるという壮大な音宇宙ではないものの、英語の詩としては読ませるものになっている。

 もし、原詩を全部英訳したものということになれば、訳は数種類あるけれど、キアラン・カースンのものがいちばん原詩のリズムに近い訳になっている。