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超古代とUFOとジャズ・ピアノ


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今野 敏『獅子神の密命』(朝日文庫、2011)



「超古代とUFOとジャズ・ピアノ」とは、何やら三題噺みたいだが、前ふたつだけでも、たとえば、室井滋さんのような、「ムー」愛読者のつぼにはまる小説であることは間違いない。そう、『ジェノサイド』のような。ただし、こちらは、設定年代が80年代初頭くらい。(本書は『海神の戦士』の題で1983年に出版され、2011年に『獅子神(バール)の密命』と改題された。)

 主人公のジャズ・ピアニスト橘章次郎の米国行きの軍用機の場面、特に瞑想する橘の姿に、サリンジャーの短篇 'Teddy' を想い起こした。外部からは不可知ながら、内部で深遠な思想がうずまく哲人のことを。ただし、違いは、テディはウパニシャッド哲学であるのに対し、橘は古事記であることだ。

 橘はどんどんと真の自分に目覚めてゆく。それは内面外面のあらゆるところで顕現する。音楽嗜好の面でも。

 最初は、ピアノの周りにずらっとシンセサイザや電子楽器を配置し、楽曲の局面に合わせて弾き分け、重要な決めどころでは、バンドのメンバと寸分の狂いもない難パッセジを合わせる、タイトで流れるような演奏を繰広げる。そう、ジョージ・デューク向谷実のように。

 ところが、目覚めを経た橘は原初の野性へと回帰するかのごとき演奏を始める。仲間とのコラボレーションのレベルが一般リスナの理解しうる程度をはるかに超え、おのれの内に湧き出すインスピレーションの泉を、とうとうとインプロヴィゼーションに流し込む。そう、セシル・テーラや山下洋輔のように。

 スタイルでいうと、フュージョンからフリージャズへ向かうかのような変化だ。経済的価値観を第一義とする(=売れなきゃ困る)事務所サイドが手を引くのもわかる。周りの理解をどんどん超絶してゆく。

 橘の争奪戦が日本の内閣調査室、米国のCIAだけでなくソ連KGBまで巻き込む壮絶なものになり、国際謀略と、軍事の隠し球としての超常能力やUFO、宇宙考古学などが入り乱れ、めくるめく展開になってゆく。

 さまざまの「ムー」的要素にもかかわらず、一篇の音楽小説と見た場合、ピアニストなら、たぶん、最後のリハーサルの場面には涙することだろう。稀有な作品だ。


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