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始末、才覚、神信心の寒天商人が大坂にいた


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高田郁『銀二貫』(幻冬舎時代小説文庫、2010)



 始末、才覚、神信心は大坂の商人(あきんど)の心がけである。これを守らないような商人は大坂で商人たる資格はない。

始末、才覚、神信心ーーこの三つは、大坂の地で商いをする者にとって、日々の要となる大切な心がけであった。収支を計って身を慎み、知恵を絞るだけでは、ひとかどの商人とは呼べない。神仏に感謝する気持ちがあって初めて、真の大坂商人と呼べるのである。(85-86頁)


建前はそうなのだが、江戸時代に頻発した大火事など不慮の災難や商売がたきなど、実際にはハードな現実の前に心は折れそうになるし、中には不心得者や卑怯な輩もいる。

 けれど、もし、本当にそんな商人がいたとしたら。天神さんはちゃんと見ていてくれるのだろうか。心配になるけれど、やっぱり読者としては、そんな商人がいるものなら読んでみたい。その結果、人の心と心がつながれ、みんなに笑顔が広がる。そんな大坂の話を読んでみたい。

 その夢がかなうのが、高田郁(かおる)の『銀二貫』だ。このお金が、人を助け、村を救い、幸せを運ぶ。まことに、使いどころを得た金は大きな働きをする。現代の貨幣価値にすると、200万円くらいだ。ポンと出すには大きな金額だ。

 商人が中心の話には違いないが、おそらく、大坂人なら、その商人(寒天問屋)が扱う寒天そのもの、もっといえば、寒天が活かされた料理や菓子、なかんずく羊羹にただならぬ関心をいだくだろう。ほんまにおいしいもんにはちゃーんと反応するのが大坂や、との声が聞こえてきそうである。見栄とかにはぜったい反応せーへん、味や、それをうみだす人の心意気を買うんや、と大坂人なら言うだろう。