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ミステリのようなファンタジーのような――短編作家としてのハルキ・ムラカミが世界文学で知られているのはこの英訳作品


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Haruki Murakami, 'The Elephant Vanishes'
〔書影は本篇を収めた The Elephant Vanishes



 読み終わった今も、うまく言葉にできない。

 最初はミステリかと思った。途中からファンタジーに違いないと思った。だけど、結局、そのどちらでもないような気がする。

 ひとつだけ確かなことは、この小説の語り手「僕」は「象の消滅」後、変わってしまったことだ。

 だけど、なにがどう変わったのか。それが説明できないからこの小説が書かれたような気さえする。

 ある町で飼われていたアフリカ象がある日、忽然と姿を消す。飼い主もろとも。だけど、その理由も、行き先も、手がかりも、何一つない。やがて、その話は忘れ去られる。「僕」はある女性とホテルのカクテル・ラウンジで会話に花が咲く。お互いに惹かれあう。が、ひょんなことから話が消えた象のことになると。

 少しデータを書いておこう。村上春樹の短篇「象の消滅」は「文學界」1985年8月号に載り、その後短編集『パン屋再襲撃』(1986、文庫版1989)に収録された。ジェイ・ルービン Jay Rubin による英訳が「ニューヨーカー」1991年11月18日号に掲載された。日本人作家が英訳で載ったのは村上春樹が初めて(最初に載った作品は「TVピープル」)。1993年に17編の短篇を収めた選集として The Elephant Vanishes の題で Knopf 社から出版。その後、これを底本として各国語に翻訳。国際的には村上春樹の代表的な短編集として知られることになる。それが「逆輸入」され、日本で英語版と同じ構成の『象の消滅』が出版された(2005年)。

 「象の消滅」は短編集『象の消滅』の最後に置かれている。ひょっとすると、ジェイムズ・ジョイスの短編集『ダブリン市民』の最後に置かれた「死者」と同じくらいの位置を世界文学において占めることになるかもしれない。

 ミステリでもなく、ファンタジーでもなく。いったい何なのだろう。

 この英語版はときに原作とはかなり違う部分があるが、沼野充義は「村上さんは翻訳者と協同関係にあり、村上作品の英語版はそれじたい日本語版とは別の価値を持つ独立した作品になっている」という。(NHKラジオ第2「英語で読む村上春樹」第2回、2013年4月14日放送)