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「神隠しされた街」について


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若松丈太郎(詩)、アーサー・ビナード(英訳)、齋藤さだむ (写真) 『ひとのあかし』(清流出版、2012)



 後世の人は日本文学史上の奇蹟と、輝かしい心ではなく哀切のきわみとともに、この詩人を想い起こすだろう。

 1935年、岩手県に生れた若松丈太郎は、福島県相馬地方で活躍する詩人として確かな足跡をしるしてきた。第14回福島県文学賞を受賞した詩集『夜の森』、第2回福田正夫賞を受けた詩集『海のほうへ 海のほうから』、第24回福島民報出版文化賞を受賞した詩集『いくつもの川があって』など多くの詩集がある。

 相馬といえば、井土霊山、大曲駒村、鈴木安蔵などの文人や学者を輩出した土地だ。福島県相馬郡にあった小高町(現在の小高区)を本籍地とする埴谷雄高島尾敏雄のふたりを記念する埴谷島尾記念文学資料館の調査員としても若松丈太郎は腐心している。

 高校の国語教師でもあった若松丈太郎は、このような文学や文化の伝統があるふるさとが、いま「神隠し」にあったかのような状況に陥ったことを、2011年3月11日にではなく、その17年前の1994年に「神隠しされた街」という作品で予見していた。その鋭い日本語は、福島第一原発の建設が始まった1971年以来の鋭い観察と直感と想像とに裏打ちされたものだ。

 本書の英訳者アーサー・ビナードにこれは「予言だ」といわれても、若松丈太郎は「わたしは予言者ではまったくない。ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと」と、さらに「わたしの見方が、大きくハズレていたらよかったのにと、毎日考える」と答えた。

 本書に収められた「神隠しされた街」(『悲歌』・連詩「かなしみの土地」より)を少し引く。

幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
(略)
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす (114-130頁)


 鎮魂の想いとともにこの書評をささげます。神隠しにあった街に、これから神隠しにあうかもしれない街に。


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