"恋に落ちる"の電磁気的解釈
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木爾チレン『静電気と、未夜子の無意識。』(幻冬舎、2012)
かみなりが突然降りかかってきて、心を射貫き、それが魚の鱗のように頭の中にこびりつくこと、これが恋だ。
どんなに微弱な電磁波を集めても、かみなりにはならない。
記憶を捨てられた者に作れるのは、きっと静電気くらい。
恋に落ちるのに三ヶ月掛かったとしても、ぜんぶが剥がれ落ちるまで、たったの一週間しか掛からない。
以上は最初の章「1 静電気と、未夜子の無意識。」。雷が惹起する原初的な畏怖と、恋愛に伴う慄きとが、類似的並行的に意識させられる。主人公の未夜子は十九から二十歳だ。
「0 未夜子と、格好よくてつまらない君達の夢。」は九人の男の子とつきあう十七歳の未夜子の話。九人に出すメールでは混同しないように男の子の名前は書かず、すべて「君」で通す。男の子は女の子のかわいいという部分しか見ておらず、女の子のほうも仕返しに男の子の格好いいという部分しか見ない。
「2 未夜子の、まだ明けない夜。」は1の二年後の未夜子。未夜子はいろんな会話をする。その間に地の文がたっぷりはいる。会話だけでもたせる小説も多いのに、この地の文は実に読ませる。たまに出てくる会話の台詞がその結果、何倍にも意味を深める。しかし、どちらかというと、地の文、それは未夜子の一人称の語りなのだが、それがいい。一人称といっても「私」のところに未夜子がはいるとても変わった文体だ。
それからもうひとつ。空間を旅することが時間を旅するような感覚が出てくる。時間を過去にむかって旅するのだ。そのときに過去の人たち(過去の自分を含む)を尊重する姿勢を見せる。けっして過去を否定しない。
どちらかといえば、孤独やさみしさ、ぜつぼうをひっしに乗り越えてゆこうとする未夜子の姿が中心的に描かれるのだが、安易に過去を否定したりしないのが非常に新鮮だ。
だが未来は? 未来はどうやったら訪れるのだろう。それこそ青天の霹靂を待つように、未夜子はひっしに自分に電気をためようとする。その真剣さにはだれも物が言えないくらい真剣だ。
恋を二十代の女性が宇宙的な観点から書けばこういう不思議な小説になるのかもしれない。木爾チレンのデビュー作。